甘えは「愛」ですか?英語と日本語の違い。

慈悲は仏教用語という話が出ましたが、キリスト教にも似た言葉があります。神の至高の愛を指すアガペーという言葉です。神も仏も上から目線で非力な人間を憐れみ救おうとしている点では似ています。

「いつくしむ」にも、そういう、力を持つ立場から弱いものに向かっていく方向性を感じます。「甘え」はどちらかというと逆で下から擦り寄っていく感じがありますよね。

「いつくしむ」には弱者に対する思いやりの感情がふくまれていると考えられますが、「甘え」には、「思いやり」の要素はほとんどありません。自分の心細さや恐怖心を自分で始末できず他者に頼ろうとする気持ちであって、未熟さわがままさの象徴のような言葉とたいていの日本人は捉えていると思います。

親子の関係性はまず、子どもの「甘え」とそれに応える親の「かわいい」と「かわいそう」が入り混じったような、世話をせずにおられないような気持ちとの応答から始まります。という捉え方でいいですよね。

この本のタイトルを見て混乱するのは私だけでしょうか。

『愛を科学で測った男 』(デボラ・ブラム/藤澤隆史・藤澤玲子訳、白揚社2014年) 

愛を科学で測った男―異端の心理学者ハリー・ハーロウとサル実験の真実

愛を科学で測った男―異端の心理学者ハリー・ハーロウとサル実験の真実

  • 作者: デボラブラム(著),Deborah Blum (原著),藤澤隆史,藤澤玲子
  • 出版社/メーカー: 白揚社
  • 発売日: 2014/06/26
  • メディア: 単行本
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アカゲザルを実験台に使い、子どもが母親に対してしがみつくのは乳が与えられるからではなく強い心理的欲求に支えられているのだということを実験で証明した学者の伝記です。

学者の名前はハリー・ハーロー。彼の実験は「ハーローのサル実験」として心理学の入門書にも出てきます。よく知られているのは、針金で作った代理母に哺乳瓶がついていて、毛布のついた代理母には哺乳瓶がついていない条件で行われた実験で、赤ちゃんザルは毛布の方を選び、親子の絆を作るのは授乳ではないということを証明したとされています。

 他にもさまざまな条件で、親子の心理的な絆づくりがその後の成長に不可欠であることを証明してみせた人のようです。有名なボウルビィのアタッチメント理論にも強い影響を与えたことが本の中でも詳細に紹介されていました。

それはそうと、このタイトルです。

生まれたばかりの赤ちゃんが母親にしがみつく気持ちは、「愛」でしょうか?

赤ん坊は「甘えている」のであって「愛している」のではないように私には思えます。

赤ん坊には母親への思いやりや共感というものはありません。甘えている人間は自分のことしか考えていないし、赤ん坊の場合それでいいというのが日本人として共通の了解であると思うので、ここに「愛」という言葉が使われているのはとても困惑しました。

原題は Love at Goon Park 副題が Harry Harlow and Science of Affection 

文中にも「愛」という単語は何度も出てきますからおそらくもとの言葉は love かまたは affection と考えられます。どちらも 好意、愛情 というような広い意味を持つ単語ですから、思いやりがあるかとか甘えがあるかとかそういうことをあまり意識せずに使われているのだろうと思います。上から目線とか下から目線とか、そういうのはなくて、個と個の対等な感じがあります。それが英語というものなのだろうと思いますが、どうも不満が残ります。

英語の中では「大好きな感じ」というのは全部 love で表現されてしまうということなんでしょうか。たしかに赤ちゃんはお母さんが好きでたまらないのだと思いますが、それは母親が赤ちゃんを好きな感じとは違うんじゃないか、別々のものが組み合わさって母子関係というのは成り立っているんじゃないかというのを最初の方に書いたわけです。

本のタイトルを見たときは今日から「甘え」のことを「愛」と呼びましょう、と言われているような嫌な気分、SF小説『1984』に出てくるニュースピークのような気味の悪さまでありましたが、英語はそういうものなんだと妥協するしかしょうがないのだろうと思います。

日本語ネイティブとしては、「甘え」や「いつくしみ」のニュアンスを失ってしまわないよう意識していく必要があるように思います。土居健郎のように英語圏に対して日本語のニュアンスをアピールしていくことも大事なのかもしれません。

私たちにとってはこんなに当たり前の区別が、英語にはないとしたら驚きです。