アレキシサイミアと外傷的育ち

前の記事では感情がわかりにくい私がそれに気づき、感情をほどく方法について書いてきました。どうなんでしょう。私は自分がどのくらい特殊な人間であるのかがよくわかりません。でも、広い世界にたった1人でこんな状態でいるとは思いません。よく似た状態に悩んでいる人はそれなりにいるだろうと思います。

その根拠が、アレキシサイミアという用語です。

アレキシサイミアは病気の名前ではありません。感情を表現する言葉が出にくい状態を指す用語です。日本語では失感情症という訳語を当てているらしいのですが、これでは感情を感じないという誤解に繋がるので、カタカナのまま使わせていただきます。

自己診断ですが、私はアレキシサイミックな特徴を持つ人間なんだろうと思っています。

 アレキシサイミアについて詳しく述べた本は少なくて、特に、素人向けに書かれた本はないんじゃないかと思います。この本は難しくて買った時には読みこなせなかったのですが、今回はちょっと読めました。大学院に行った甲斐がありましたか。

この本では、アレキシサイミアの程度とさまざまな診断名(パーソナリティ障害などの精神疾患、摂食障害や物質使用障害、心身症、がんや高血圧などの身体病)に関連があるかどうかを調べた結果を論じていました。なかでも私の目をひいたのは、身体表現性障害の項で、これまでの人生を振り返るとやはり当てはまってしまうなと思いながら読んでいました。体が痛い、動悸がする、腸の具合が悪い、医者に行っても何も見つからないのは経験上わかっているけれど、すっきりしない状態が続く。漢方を処方してもらったり、ハーブティ専門店で高いのを買ったり、そうこうしているうちに、肝機能の異常が見つかって漢方も使えなくなり、ヨガをやったり、腸の食事療法をしたり、そういう経緯はこれまでブログにもちょこちょこ書いてきました。私は医師ではないので、さまざまな診断名のつながりや区別についてはわかりませんが、自分がそこに当てはまることと、どうやってその症状が起こってくるのかという説明について医学的にいろいろと検討がされているということは了解しました。

改めて感情ということについて考えると、言葉にするというのは極めて人間的なプロセスで、人間以外の動物が何かに驚いたり恐れたり安心したり悲しんだりというそれに違い状況というのは観察する限りにおいては見て取れるのに、彼らは言葉にはしていないわけですよね。この本では、感情を言葉として表現することは生まれつきの能力ではなく、発達に従ってに養育者から伝達され獲得されるものであるという前提で話はすすんでいます。アレキシサイミアは養育者との相互作用が上手くいかないことによって起こる。また、児童期の心的外傷や青年期や成人期の破局的な外傷体験によっても起こるという説も紹介されています。

これは以前、外傷的育ちという言葉で紹介したものとだいたい一致しているという印象を持ちました。過去記事リンクこちら。

frog-beee.hatenablog.jp 

治療法としてはいくつか紹介されていましたが、アレキシサイミックな人が自分の感じ方が少し特殊であることを自覚するよう促し、自分の感情を区別し、命名し、管理できるように助けていく教育的な方法が目に留まりました。自律訓練法のようなリラクゼーションの方法を取り入れている治療法もあるようでした。私がやっていることも方向性としては違っていないと思います。身体の症状はまだいろいろとありますが、以前よりずっと元気になってきましたし、もっと良くなっていけると信じています。頑張ってみようと思っています。