真理ルールと常識ルール

一つ前の記事で書いたように、毒と薬は、実は同じものであることが多いです。
毒とか薬とかというのは、人間の方がそのときの都合で見た見え方であって、モノの属性ではないということでした。

確かに、それが真理だと思います。が、

生活のレベルでは、○○は毒、△△は薬、と、決まっていた方が、理解しやすいし運用しやすいでしょう。毒、や、薬、というのを、モノの属性と考えた方がうまくいきます。コーヒーや塩は食品売り場で手に入りますし、風邪薬は薬屋に売っています。カテゴリーを分けることで世の中が整然と回っていくわけです。

これを、常識ルールと呼んでみます。私たちは、常識ルールの下では、毒、や、薬、がモノの属性と考えられる世界に住んでいます。

これに対して、真理ルールというのを考えてみます。物事をつきつめて考えてたどり着く世界の見え方というのは、価値観を超えた普遍的なあり方に近づいていくでしょう。

 
たとえば、天動説と地動説。真理ルールで言えば、もちろん、地動説が正しいのでしょうが、

常識ルールでは、天動説の方が十分役に立ちます。地球が動いていようがいまいが、私たちは動かない土地の上で電車や自動車で移動し、太陽の見かけの動きにあわせて起きたり眠ったり働いたり食べたりしています。
 
 
学問の世界では真理ルールで物事がすすんでいくのかもしれませんが、日常生活は常識ルールが大事なんだといえると思います。

そういう意味では、天動説も地動説も、どっちも正しい。
 
 
ふたつのルールはときに矛盾します。真理だからといって、常識ルールの場にそれを持ち込むと話がややこしくなったり、社会性がない人と思われたりします。最初からふたつのルールがあると考えて、その場を使い分ける知恵が必要なんだろうと思います。

真理ルールと常識ルール。私の造語です。