私は学生の頃まで、工業製品というのは工場で自動的に大量生産されているから、人の手はあまりかからないのだという感覚を持っていました。
社会の教科書には「オートメーション」によって機械化され、労働は単純化され、「人間疎外」が起こったなどと書かれていましたが、私の育った町にはそもそも工場というものがあまりなく、チャップリンの映画にでてくるような大きな工場がどこか遠い町にあって、いろいろなものが生産されているのだと漠然と想像していたように思います。
この認識は、就職したことで大きく変わりました。
私が担当したのは、半導体を設計するときに使うCADのソフトウエアでした。半導体というのは印刷や版画によく似た原理で、かなり自動化された工場で大量生産されますが、その原版にあたる設計図を作る技術者の人たちと頻繁に接する機会を得たわけです。
技術商社のエンジニアとして、全国いろんなところの工場に行きました。
工業製品を設計する人たちの苦労がだんだん、わかってきました。どのような工業製品も、工場から勝手にどんどん作られてくるのではなくて、そのおおもとを考えた人がいて、それをどんな工場で作るのかを考えた人がいて、大量生産を続けるあいだにも、毎日のようになんらかの小さなトラブルがあり、ひとつひとつの問題に対処しながら少しずつ前へ進んでいるのだということを知ったわけです。
「工学」というものがどのようなことを指すのが、やっとわかってきました。
工業製品を作りだしている人たちを、尊敬するようになってきました。
(・・・で、そんな半導体設計者のひとりが、私の夫になっているのですが。。。エヘ。)
私は女性なので、服やかばんなどを作る職人さんがどれだけの創意工夫をしながらモノをつくっているかについてはある程度想像ができますが、キカイに関してはおぼろげなイメージしかありませんでした。男性のほとんどはまたその反対なのかもしれません。
気がついたら店に並んでいて、当然のように手に入る商品たち。私たちはお金を出してそれを買い消費するけれど、それらは誰かが考え出し、誰かが作っているもの。
そのことを、私たちはどれくらいしっかり受け止められているのだろうかと思います。