こころの傷と文明について考えてみました

前々回、こころの傷から回復できなくなったり、傷があっても生きていくことができなくなった。その辺りのことを、書くと予告したのですが、

これを書くのは難しいように思うので、しばらく保留にしたいと思います。

こころの傷というのは、身体の傷とは少し性質が違うように思います。
たしかに身体の傷と同じように、時がたつと傷口が乾いて痛みが遠のき、淡い思い出に変わっていくような気もします。でも、こころの傷あとはそれだけでなくて、こころのシワというかひだというか、人格の豊かさになって、他人を受け入れる力に変わっていく力も持っているのだろうと思います。

なのに、ある傷はいつまでも回復せず、いつまでも痛み続け、記憶を呼び起こすちょっとしたきっかけに反応して疼きます。自分でも意識せずにそれを深い場所にしまいこみ鍵をかけてしまっていて、何かの拍子に表に出てきて自分でもびっくりすることがあります。

おそらく誰にでもこころの傷はあるし、傷つかずに生きていくことはできないものなのだろうと思います。それどころか、人は傷つくからこそ、それから立ち直るためにさまざまの活動を行い、それが文化の源になっているのではないかと思います。

たとえば、身体を動かして何かの作業をすること。何かを作り出すこと。祈ること。もしかしたら、闘争すること。それらのエネルギーの源に、こころの傷があるのではないかと思ったりしています。