不登校も自殺も社会問題だという視点を捨てないで

私は2002年ごろから6年ほど精神科領域の薬の世話になっていました。
「うつは心の風邪」というキャンペーンが張られ、うつ病の認知度が上がり、街に精神科クリニックの看板が増えてきた時期と重なります。

その時期の精神科医療について書いた本を二冊読みました。今回は一冊目。
うつに非ず うつ病の真実と精神医療の罪『うつに非ず』(野田正彰、講談社2013)。
告発的な内容を含む文章には、意図的な誇張があってそこを差し引いて読まなければならないものも多いのですが、この本は、まじめに、きちんと調べて論じてあるという印象を受けました。

うつ病という病気がひとつの単位としてあるのではなくて、原因もわかっていないこと。
うつ病の診断につかわれているDSM診断基準は、ほんらいは統計処理のためのものであること。
副作用が少ないとされていた新世代の抗うつ薬を長期に服用すると、感情が鈍くなり攻撃性が増し人格が変わってしまう。病気の進行と思っていたものが、実は副作用だったという事実。

これらは関係者にはそろそろわかってきた事実なのかなと思いますが、あまり関心がなかった一般の人たちにはまだまだ理解されていないと思います。ぜひ一般の人たちに読んで欲しいです。

そして、この本の中心的な論点とも言える、自殺とうつの関係。
自殺がうつ病との関わりで論じられるようになったのが、やはりここ10年ほどのことだと思いますが、ものごとを単純化して、自殺したのは本人が病気だったから、ということにしてしまうと、自殺に追い込まれた事情というものが無視されてしまいます。
社会的な問題を個人の疾病の問題にすりかえていくことを、この著者は「疾病化」(p.70)と呼んでいます。
バブル後の日本で八方塞がりになり自殺に追い込まれる状況をモデルケースとして描いた部分はとくに印象に残りました。社会問題として解決すべきことが多々あるにもかかわらずそれを放置し、自殺の原因を病気だけに求める風潮。同じ構図が、不登校発達障害のあいだにも認められるとしています。

自殺も、不登校も、まず第一に社会問題であるという認識は変えてはならないのだろうと思います。社会の構造や文化のありかたの中で生じた軋み、歪みが、社会適応に失敗した人間という形をとって現れているのだから、みんなで力を合わせて、社会を良くしていく方法を考えなければならないという意味での社会問題です。

わざわざ注釈をつけたのは、どうも別な文脈での<社会問題>の捉え方が存在するように思うからです。病気になって自殺したり、学校に来れなくなったり働けなくなったりするような<社会に迷惑な>人たちがいることが、社会問題であるという見方です。

この本では、生きづらい社会で精神的に疲れた人たちが病気とされ、投薬を受け、入院という名のもとに収容されている現状が明らかにされています。キャンペーンで大々的に宣伝されているわりには、抗うつ剤をただ飲むだけでうつ病が治ることはないし、患者は増え続けています。実質的な排除が行われていると見えなくもありません。

うつも自殺も、誰にとっても他人事ではないはずです。たくさんの人に読んでほしいと思います。