論文コンプレックス!一歩前へ

大学を出たということはイコール卒業論文を書いたということになるはずなのですが、私には長いこと論文コンプレックスがありました。

自分が書いたものが果たしてあれで論文といえるものだったのか、まったく自信がなかったからです。
見よう見まねで、こんな感じで書けばいいのかな、と書いて出したというだけのもの、だったんですが。。。

他の大学の話を聞くと、卒論の丁寧な指導があって、口頭での発表会もあったというところもあって、そうするとなおさら、コンプレックスを感じていました。実は大学で特に習わなくても、他の人たちはちゃんとどこかで論文の書き方なんてとっくにマスターしていて、私だけが取り残されていたのかもしれない。わからなければ友達に聞くとか、研究室に押しかけるとか、そういうことをすべきだったのかもしれない。変な文章を大学に残してきたと思うと、恥ずかしい。。。。

大学を卒業して25年以上、そんなことばかり考えてきたのですが、
この本を読んで、ちょっと救われました。

社会科学系のための「優秀論文」作成術―プロの学術論文から卒論まで『社会科学系のための「優秀論文」作成術』(川崎剛、勁草書房2010)前書きのところに、こうあります。

ほとんどの理系学問では、論文の「型」、つまり議論の組み立て方が標準化されている。(中略)査読論文から学位論文、それに卒業論文まで、おなじ「型」が採用されているのである。(中略)それでは社会科学ではどうか。一部の分野(たとえば経済学や心理学)を除けば、学術論文を貫く共通の「型」というのは明らかでないのが実情である。(中略)曖昧なままだし、体系化もされていない。たまたま好意的な指導教官が指南してくれることがあるやもしれない。それはたいへん幸運なケースだが一般的ではない。(はじめに)

なんだ、そうだったんだ。教えてもらえなかったのは私だけじゃなかったんだ。

と、わかると、ほっとしたと同時に、妙な話だと思いました。
何十年ものあいだ、文系の世界では、論文の書き方としての標準型が定まらないままに学生の指導が行われ、大学での研究生活が行われ、それで成り立ってきたということなんですよね。
あまり知らない世界の話なので深く突っ込むのは危険ですが、なんだか不思議です。

コンプレックスを持つと平均値がとても高いように思えてくるんですが、たいていは錯覚のようです。その思い込みから解放されると、苦手なものにもチャレンジしやすくなりますよね。

長い間、怖い怖いと思ってきた「論文」ですが、すこし近づいてきたように思います。

一歩前へ。