基本的自尊感情を取り戻す戦い

一つ前の記事は戦後史のことを書きました。改めて占領ということを考えると、国民全体の自尊感情の問題なんだろうと、そう書いたのですが、

ここで、基本的自尊感情と社会的自尊感情ということを思い出しました。

以前のブログ『雨の日は本を広げて』のときに学んだことですが、自尊感情といってもおおきくふたつに分けて考えられるというんですね。(→記事

 他人と比較して優れていると思えるというのは、社会的自尊感情
 
 他人がどうであれ、自分が自分であることで大丈夫と思えることが、基本的自尊感情

自己愛と自己肯定感ということばで説明してある本もありましたが、だいたい同じ意味だと思います。(→記事

そういう意味では、戦争に負けたこと自体は、社会的自尊感情の問題だったといえます。
その後日本は経済的に強くなって、ジャパンアズナンバーワンといわれる時代を迎えます。
戦争に負けた悔しさがバネになっていたという話はよく聞きますし、実際そのとおりだったのでしょう。

私が気にしているのは、そこではないんですよね。

勝手に政策を決められそれに従うしかない隷属的な扱いを受けたことの傷は、基本的自尊感情にひびいたと思うのです。理不尽な検閲や、占領軍への特別扱いは、それらに協力した人たちの気持ちをどれだけ蝕んでいっただろうかと思います。
たくさんの女性が、米兵の相手をするために集められたといいます。

また、ひどい貧困と混乱の中で、盗んだり騙したり、弱っていく人を見殺しにしたり、自分が生きていくためのぎりぎりの選択だったとしても、まともな倫理観がある人ほど、深く傷ついていたと思います。それは、過酷な戦場で生き残った人々も同じだっただろうと想像できます。

自分は自分のままですばらしい、素敵な自分を愛していると、言えただろうか。。。


私が学校教育を受けた1970年代ごろ、日本人はここがダメ、アメリカはこんなすばらしい、といった比較が盛んに行われました。自立して個人主義にならなければならないとか、マナーや社交術が必要だとか、とにかく、日本人らしいことはダメなことで、アメリカ人のように変わっていくことが求められていたと思います。和太鼓や着物といった日本文化も、古臭い野蛮なものとされ、西洋風なものの方がずっと洗練されて優れているのだとする空気がありました。

マナーが悪い人を見ると、「だから日本人はダメなんだ」と日本人なのに言ってしまう、そんな時代だったんですよね。


今から考えると、変だったと思います。さまざまな事情が絡んでいるのでしょうが、基本的自尊感情の傷というか、歪み、もつれのようなものが見え隠れしているように私には思えます。


ほんとうの意味で、日本人としての基本的自尊感情を取り戻す戦いは、私たちの世代から始まっているのかもしれないと思います。

占領を知らない子どもたち。としての私たちの世代から。