自閉症スペクトラムへの素朴な謎に答える本(4)〜親からもらった素質と自閉症の関係〜

わし鼻や一重まぶたなど、顔の造作の特徴は親に似るし、これが育て方によるものじゃなく遺伝であることはまず間違いないと思います。

でも、同じような格好なのに、それが魅力的に見えるか、というのは、人柄やセンスによってずいぶん変わってしまうということもよく経験することです。

以前どこかで、外科医の話として聞いたのは、人によって内臓の形や大きさにかなりの個人差があるということです。言われてみればそうで、おなかを開けたら寸分違わない同じパーツが並んでいたら私たちは大量生産のサイボーグか?という話になってしまいます。脳についてもこの部分が大きいとか小さいとかという違いがある程度遺伝していて、親とよく似た基本的な性格や特徴、たとえばせっかちさや几帳面さ、手先の器用さや身のこなしなどに影響しているのかもしれません。

しかしそれを一生の中でどう育て活かすかは、その人の生き方の問題ですよね。

発達障害の話に戻すと、そのような親から受け継いだ基本的な脳のつくりと障害であることとが直接関係があるような話がよくあって、これだと確かに一生変わらないし、変えようがないと思うのですが、それは単に素質ということで、育てよう使いようによっては長所にも短所にもなるはずで、これを障害というのはどうもうまく理解できない点の一つでした。

今回読んだ『自閉症という謎に迫る 研究最前線報告 (小学館新書)』には、自閉症の症状がある人(つまり自閉症の人)では、脳の右前方部と左後方部のつながりが低下しているという研究があることが紹介されていました(p.129)。また、最近研究がすすんでいるオキシトシンというホルモンの臨床試験で、自閉症の子どもの対人交流の困難さがホルモン投与によって改善する可能性を示唆する結果がでていることも紹介されていました(第1章)。

私のかなり勝手な解釈も入りますが、

親から受け継いだ脳のつくりは同じでも、脳の中の連携のしかた、脳内物質などの機能のしかたが変化することで自閉症という症状として出てきているという見方もできるのだろうかと思います。
親からもらった自分の個性は自分にとっては大事なものです。障害のなりやすさという部分で確かに関係づけられる部分があったとしても困難さとイコールで結んではいけないのかなと思いました。

脳には可塑性があり、高次脳機能障害を負った人のリハビリは日進月歩、奇跡のようなドラマティックな回復をする例も増えてきているように思います。自分らしさに誇りをもち個性を活かしつつ、困難さを軽減していくこともできるのではないかと思います。

この本ではBAP(Broader Autism Phenotype)やAQテストにも触れ、自閉症らしい特徴を持っていても障害ではない人たちの存在や、境界のあいまいさについても書いてありました。いわゆる理系学部の学生ではAQテストの平均得点が高い、とか(p.22)。私の周りにもBAPぽい人はたくさんいますが、環境が変わるともしかしたら困難さが目立ってくることもあるのかもしれないです。でも、その程度の困難さだとしたら、ちょっとした対人スキルのトレーニングを積むことでずいぶん楽に過ごせるようになる可能性もあるんじゃないかと思ったりします。