自分の気持ちを表現することの難しさと身体(からだ)の関係

アサーションについて正確に伝えられるほど私は解っていないと思いますので、詳しい情報は他で探していただきたいと思いますが、私にとってかなり手応えのある研修体験だったのは確かです。

相手の状況や立場を配慮しつつ、自分の気持ちを率直に伝え、こうしてくれると助かる、こうしてもらえるとありがたいと伝えるやり方を、具体的な場面を想定しながらゆっくり考える、その繰り返しで、ああこうやれば良かったんだなとだんだん解ってきました。

アサーションのスキルの中で、私が一番難しいなと感じたのが、自分の気持ちを表現することです。

私は困っている、私は悲しい、私は悔しい、私は寂しい、私はまだ迷っている、私は混乱している、私は恥ずかしい、私は呆れている、私はつらい、私は傷ついている。。。。。

口に出して伝えるべき時かどうかの判断は別にして、今、自分がどのような気持ちなのか、ちゃんとわかっていることがアサーションのポイントのように思いますが、私にはそれが難しいようです。

自分の感情がわかりにくいことを指すアレキシサイミアという用語がありますが、その状態が長く続いていたのだろうと思います。おそらく学生時代ぐらいからその傾向はあったのかなと思います。

アレキシサイミアの人に感情がないわけではないのは、私自身がよく知っています。

感情が感情として言葉のレベルまでまとめあがって来ないだけなんですよね。

感情はあたま(脳)ではなく、体の感覚全体の中にあります。内臓を含め、全身で感じるものです。それに対して言葉は脳の中にあり、あたまとからだがつながっていかないのだろうと思います。

アサーションのスキルにもっと早く出会いたかったと思いますが、私の場合は、その前段階として、身体を整えるということが必須だったのかもしれないです。ここ数年、解剖学的な知識を含めてボディワークに興味を持ち、フェルデンクライス、アレクサンダーテクニークなどを体験しつつ、自分なりに身体と脳をつなげるということを意識してきました。

今、アサーションのワークを体験して効果があると感じるのは、そのような身体との関わりを続けてきたことと無関係ではないのだろうと思います。

うまく言えないと感じるとき、逆にとりとめもなくしゃべって相手に迷惑をかけてしまうとき、必ずといっていいほど、自分の気持ちにちゃんと気づけていないです。

それがわかってきたということは、アレキシサイミアを卒業しつつあるということだと思います。

自分の気持ちを言葉にしてみることを、もう少しきちんと意識してみようと思います。