身体が緩んで初めてわかる、人の気持ち

ほんの少しずつ、身体が緩んできました。腕だけ、肩だけ、背中だけ、わき腹だけ、という風に、その日に重たいと感じる場所に意識を集め、5秒ほど力をぐっと入れて、それから解放します。その場所が軽くなると、次ぎの場所が気になり始め、そこを緩めると、別の場所が、という風にすすんできたと思います。

ボディワークや整体、解剖学の知識を入れながら工夫もしてきました。

私の身体はかなり変わりました。昔の私を知る人は、姿勢が良くなってきたといってくれます。年を取って皮膚が緩んできたり、皮下脂肪がついてきたりしているのは別として、付き合いやすい身体になってきたのではないかと思います。

それと同時に、自分の感情を、体で感じることができるようになってきました。
感情が身体的な反応であることを論じたダマシオ『デカルトの誤り』を読んだのは2012年でした(→記事)が、その頃は実感としてはよくわかりませんでした。今はびんびん来る、という感じです。
ひとつひとつの感情が身体に起こって、それから概念にまとまってくるのがよくわかります。
おそらく、まだ多少鈍いからこそ、身体から概念へ移ってくる順序が意識されているのだろうと思います。普通の人は無意識にやっていて気がつかないのでしょう。

とくに、恥ずかしいとか、情けないとか、悔しさとか、プライドが傷ついたときの感情をしっかり感じるようになりました。自尊感情との絡みもあると思います。

そして初めて、文脈に即して、他人の気持ちを想像することができるようになって来た、と、感じます。
最近あるところで、「それは恥ずかしかったでしょう。ごめんなさいね」と声をかけて謝ることができ、こころから嬉しいと感じました。他人の恥ずかしい気持ちを想像するなんて、今までできなかったことです。

他人の傷つきを想像できれば、いろんな心遣いも楽にできるようになり、人との関係もつくりやすくなります。自分の気持ちにしっかり気づけるようになることは、その基礎となります。
なによりも自分を表現できるようになります。アサーションという技法も学びました。

私の体験から言えることは、身体に働きかけることで、感情を豊かにできるし、そのことが対人関係を良くしていくことに直接繋がっていくということです。私の力はもともとあったのが「回復」したのか、それとも生まれて初めて「開発」されたのかは検証しづらい部分もありますが、間違いないのは、人の気持ちがわかりにくいという状態は、変えられる可能性があるということです。人間関係に悩む多くの人たちに伝えたいことです。