人間関係にオクテであることは決してマイナスではないはず

本田秀夫『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体 (SB新書)』の中で、特に印象に残ったのが、
ルビンの壷のたとえを使った、地と図の切り替えの話でした。

ルビンの壷というのは、見ようによっては壷にも人間の顔が向かい合っているようにも見える図形です。ウィキペディアに図版が出ているので、ああこれかこれか、と確認していただければいいのですが、興味深いのは、壷に見えるときと、人間の顔に見えるときがスイッチのように切り替わり、決して同時に両方見えたりしないことです。人間の脳がそういう風にできているのでしょう。

本田氏は、この図のような切り替えが必要な場面が、生活の中にあることを指摘しています。
幼稚園で、仲良くしましょうといわれる一方で、競争しましょうといわれたりすることがその例です。
いわゆる文脈というもののことですよね。仲良くする文脈で動く場面と、競争する文脈のときがあり、子どもなりにその文脈を自然に感じ取って使い分けているのだというのです。

自閉症スペクトラムの場合、人間関係よりも活動そのものを図とする本能的志向が強く、部活動などでも社交場という働きを理解していなかったりする、と書かれていました。

これって、マイナス面だけじゃないですよね。
こういう人は、人一倍真面目に頑張る人だし、どんな活動でも業績を上げられる優秀さにつながるはずです。必要なのは、そういう人を伸ばしていける環境じゃないのかな、と思います。

オクテだからこそ、信頼関係を理屈で捉え、しっかり優先順位をつけていくことができるようにもなるように思います。そのためには深く悩む時期もあるかもしれないけれど、その時期を経て大人になっていくんじゃないでしょうか。

二つの文脈が矛盾していて、状況を見て切り替えなければならないことは世の中にたくさんあります。高度な難しい切り替えもあります。自閉症スペクトラムに限らず、理論的にそれを学ぶ機会があってもいいんじゃないかと私は思います。