そもそも西洋はずっと東洋より進んでいたのか

「アメリカに追いつき追い越せ」というのは、私たちは子どものときによく聞かされた言葉です。アメリカは進んだ国だというイメージをことごとく刷り込まれました。

20代の頃、サンフランシスコでゴールデンゲートブリッジを見て、これが作られた年号を確かめたとき、なるほど全く歯が立たないほど差があったのだなと実感した覚えがあります。
ゴールデンゲートブリッジは1937年に完成しています。なのに、自動車の走るレーンが6車線あるんですよね。その時代に、自動車がどんどん走っていたんですよね。。。

明治維新のころは、東洋は西洋の植民地になろうとしていた時期で、日本もぎりぎりのところで頑張ったわけですが、もう無理して無理して西洋に近づこうとしてきたんですよね。そして、昭和の戦後というのは、ことあるごとに「アメリカではこうしている、だから日本も」といわれてきました。

最近でも「欧米では」という言葉が錦の御旗みたいに使われて続けていて、なんとなく、あちらが優れているのは当たり前、という感覚になっているのですが、

そもそも、人類史の上で、西洋はずっと東洋より優れていたのでしょうか。。。

『この国のかたち』(司馬遼太郎)を読んでいて感じたのは、ある時期まで西洋と東洋は別々の発展を遂げながら、よい意味の緊張感を持って存在していたのだろうということです。

自分と違うものに出会ったとき、人は、自分の方が優れているからだ、と、考えるほうを選びやすいです。しかし、何らかのコンプレックスがあると、それは急にひっくり返って、自分の方が劣っているからだ、と、考えてしまうこともあります。

ひとつのことが優れていると、他のことも全部優れているのだと勘違いしまうこともあります。心理学では、ハロー効果としてよく知られていることです。

19世紀はじめ、蒸気機関が実用化され、動力という面で西洋は優位に立ち生産力も飛躍的に伸びました。しかし、それ以外の面で、たとえば政治制度や文化などの面で、特になにか、西洋だけが突出して優れていたかというと、どうなんでしょう。

司馬は、江戸後期に日本に存在した「近代」について述べています。
司馬のいう近代とは、個人という意識のたかまりであり、「モノの質量を大衆レベルで比較する精神」のことだといいます。江戸期は流通が発達し、モノの価値は権力ではなく相場で決まるようになり、ひとびとは合理主義的になったとあります。モノの売買もカネの貸借も個人が矢面に立つようになり、神仏よりも現世的な人間主義へと世の中が変わっていった、それは西欧の近代と似た側面を持っていたというんですよね。

日本の江戸期にあった近代は黙殺され、明治政府は西洋の近代を輸入したがゆえに、昭和初期の思想の貧困に繋がったというような見方も書かれていて、ふーんなるほどと感心したのですが、もちろんこれには反論する人もあるのだろうとは思います。でも、なにかというと、日本の古いものは駄目で、そっくり西洋のものを持ってくるとありがたいみたいな風潮はずっと明治以来続いていて、それを越えるその先を考えようとするときに、ちゃんとした現状把握というか、地図というか、考えの基礎となる情報や考えの枠組みが必要で、それにはまず、歴史や文化をちゃんと知ることだと感じました。

外国人が褒めてくれるから日本がすごいと言われることも最近はあるようですが、もっと直接的に、ちゃんと、日本の歴史を知る必要があるように思いました。まだ、世界の歴史についても大人の目でしっかり捉え返す必要があります。

歴史の知識が必要だというと、すぐ、高校生に学ばせるべきだとかそういう議論をする人がありますが、何歳からでも、必要だと感じたら勉強すればいいんじゃないかと思います。司馬遼太郎の視座はとても広く、私は若いときならとてもついていけなかったと思いますが、今は面白く読むことができます。

教養をある種の判断力と考えてみると、歴史の知識はその判断力を深いところから支えるものだろうと思います。若いときは薄っぺらい情報の寄せ集めだったものが、だんだんと深い意味を持って繋がっていき、力をもってくるのだと思います。

主題にもどります。そもそも西洋はずっと東洋よりすすんでいたのかということです。
地球という星に人類が誕生し、それぞれの地で別々な文化を発展させ、交流し、支配したりされたり、戦争したり和解したり、紆余曲折を繰り返しながら、今があります。
コンプレックスやハロー効果ではなくて、ちゃんと学んで考えてみたいと思いました。