『人を助けるとはどういうことか 本当の「協力関係」をつくる7つの原則』の著者エドガー・H・シャインは組織経営学などを専門とする社会心理学者で、日本との文化の違いにも精通しています。この本には30ページ余りの分量で監訳者金井壽宏(神戸大学大学院)の解説がついていてそのあたりにも言及してありました。
人間の社会であればどの文化に属していても、お金に換算しないもっと広い意味での経済、やりとりの世界があり、そこでは支援のほかにも、注意を払うことやいたわること、尊敬することなどのさまざまな「社会的通貨」が交換されていると考えられるでしょう。英語にもそれを表すさまざまな表現があることがこの本にも引用されています。
「社会経済」に関しては日本の方が「十八番」であると金井氏は書いておられ、この支援学をマスターしたのち世界に向けて日本から発信したいという展望を述べられています(p.284)。社会学者や精神医学者、臨床心理学者などの言葉を引用し、日本人は社会的脈絡という関係性に根付いているし、「人間」という言葉は、人の間と書き、英語のhuman beingが存在のほうに力点を置いているのとは違うということを書いておられます。
私を含め多くの普通の日本人が普通に感じている人と人の間に流れる見えないやりとりの感覚が、学術的な世界ではあまりしっかり言語化されていないことに、多少の驚きがあります。言語化ということを言えば、おそらく「義理」とか「礼儀」とか、そういう類の言葉になるような気がしますが、これらを社会心理学的に説明するというようなことは、まだまだこれからの課題という話なのだろうかとも思います。
以前、鷲田清一を引用して「二階建ての学問」という話を書いたことがあって(→記事)、西洋からやってきた学問は2階にあって、人びとの日常は1階にあってはしごがかかっていないということを考えてみたことがありますが、この「義」という日本的な社会経済の感覚も1階に普通にあるけど2階には届いていないものなのかもしれないです。
最近世間を騒がせるなんとも違和感のある犯罪や、増えてきている精神の病の背景には、この「義」の感覚の未成熟を感じるものが多いように思うし、私自身この感覚を身に着けるのに非常に苦労したと感じているので、ここをもう少し論理的に説明でき、外国人にも伝わる表現にできたら素晴らしいと思いました。
すなわちそれは、1階から2階へはしごをかけるということになるのだろうと思います。