勉強法と倫理感覚の関係

前回に続き、藤澤伸介『ごまかし勉強〈上〉学力低下を助長するシステム』『ごまかし勉強〈下〉ほんものの学力を求めて』(新曜社)の話を。

著者は勉強法を正統派とごまかし勉強に大別し、ごまかし勉強が蔓延していると書いているのですが、それは保護者、教師、塾などの諸事情が一致したところでひとつのシステムとして出来上がってきていると分析しています。

正統派の勉強の仕方を知らず、ごまかし系のやり方が正しいと信じている生徒もたくさんいると書いています。つまり、この記事を読んでいる人の中にも多数、自分のやり方以外の本当の勉強法があることを知らない人がいるということです。ごまかし勉強しかしていないとその科目は結局身につかないし、面白さもわからないのですが、それが正しいと信じているということは、勉強とはむなしい作業で、つまらないものだという価値観が形成されていくということになります。ごまかし勉強をやる方が定期テストなどでは良い点を取れるとなると、要領よくごまかすことが優秀さであるという勘違いもでてくるでしょう。

ごまかし勉強にはいくつか副作用があると書かれているのですが、その中でとても印象に残ったのがこれです。
ごまかしで切り抜けるというやり方が、大人になって仕事にまで持ち込まれるということです。
著者はこれを「転移」という心理学の用語で説明していますが、要するに、そういう人生観が形成されしまうということだと思います。
世の中をまだ知らない中学生が、学校の先生に邪道なやり方を是と教えられるわけです。周りの大人たちもそれを絶賛する。私は中学生の頃その現場にいて、ひどく混乱をしたし、強く心を痛めました。本来は理想や夢を追い、崇高なことや美しいものに憧れていくちょうどその時期に受けた衝撃は強く、その後の人生に大きく影響を与えたと思います。

若者の倫理意識が云々とか、道徳教育がどうのとかいう議論の中に、ごまかし勉強の話が出てきたことはないかもしれませんが、正統派の教育を取り戻すことの方がよっぽど大事なことだと思います。崇高に生きよと言葉で言われて、実際はごまかして要領よく生きよと指導されるのでは、ダブルバインドの罠にかけているようなものだと思います。だんだんと生気を失い判断力に欠ける人間になっていくだけです。
私の高校時代はすでにこの本にある 1.暗記主義 2.物量主義 3.結果主義の指導が行われており、教室は友達の答案を写して提出物を済ませるのが当然のような状況になっていきました。写さなければ自分のやりたい勉強ができないというほど提出物は多く、授業は問題集の答え合わせや解説に費やされ、私はぎりぎり友達のものを丸写しはしなかったものの、授業中に内職をして提出物を作るようになっていきました。
受験が終わったとき、もうこんなのは嫌だという思いが残りました。

今の教育の現場にごまかし勉強が蔓延しているとすれば、それが倫理感覚に与える影響はもっと議論されていいのではないかと思います。新型うつに見られるような軽い抑うつ傾向には、はっきりした関連があってもおかしくないように思います。自分に正直に「まっとうに」生きていこうという気持ちを、中高生のあの時期にくじかれ、その後の人生を誤ったという気がしてなりません。

私はこの本を読んで「まっとうに」生きようとしてもいいのだ、と、やっと認められたような気がしました。私が感じていた違和感は正しかったのだと。
これからは自信を持って進んでいけると思います。