大事なことは時間に合わせることなのか、成長に合わせることなのか

教育の話題はいったん終わりにしようと思ったのですが、なんだかすっきりしないのでもうひとつ書きます。

塾講師のアルバイトを始めてまだ数ヶ月ですが、教え方が下手だと、解き方じゃなくて答えを教えてしまうことになるのに気がついています。同じ教材を使っていても、教え方で違いが出てくるんです。教材を悪者にしてはいけないんですよね。そのことは前掲の本『ごまかし勉強<上><下>』(藤澤伸介)でも触れてありました。

また、何回でこの単元を終わらせたいとか、定期試験までにどうにかしたいとか、時間的なあせりがあると、子どもの理解のペースに合わせていくことができず、結局、問題のパターンに合わせて答え方を教えるような授業になってしまうように思います。

問題パターンを覚えてそれに合わせて正しく答えるように練習させるんだったら、それは教育じゃなくて、調教だと思うんですが、残念なことに、そのような訓練を「勉強」と勘違いしている人もそれなりにたくさんいるように思います。

理解のスピードは個人差がありますし、理解のしかたに癖もあります。さまざまな事情で勉強が中断してしまう場合もあるでしょう。どうして焦らせるのでしょう。中学生には内申点の縛りをかけて定期試験の点数に敏感にさせ、高校生は全科目揃って単位をとらないと進級できないしくみでがんじがらめにしてあって、なにがなんでも点数を上げるために<ごまかし>に走らせるようにできているとしか考えれないです。

こんなシステムでも早熟なタイプの子は比較的正統派の勉強を守ることができるのだろうと思いますが、それを見た親御さんが、幼児期から早期教育に熱心になるということもあるかもしれません。
なんで同じ年齢の子どもは足並みそろえて進級しないといけないのか、だんだんわからなくなってきました。

大人の社会ももう、年功序列の時代ではありません。
ひとりひとりの成長の個人差に合わせてしっかり理解させる教育にシフトする時期がきているんじゃないでしょうか。時間に間に合わせるために調教に走るのは、大事なことの優先順位を間違っているように思います。