生き延びるための分析する力と俯瞰する力

分析する力と俯瞰する力をバランスよく使うことで、より高い問題解決力が身につく。
この数ヶ月、折にふれこの二つの力について思い起こしていました。

もともとはこの本に出ていたことです。

学習の作法『学習の作法』(天流仁志、ディスカバー21)勉強の仕方を、「分析」と「俯瞰」というキーワードで整理してあり、説得力がありました。

大雑把に言えば、分析力というのはより理系的な力。論理力を使ってものごとを細かく調べ法則性を見つけ出していく。
それに対し俯瞰力というのはより文系的な力。さまざまな事象を総合してものごとの全体像をとらえていく。
確かに、この二つをバランスよく使うことがあらゆる局面で大事なことだろうと思います。

学習を通じて、「分析力」と「俯瞰力」をバランス良く育てるのだという視点を持てば、おのずからどういう勉強方が理にかなっているのかが腑に落ちてきます。「なんのために勉強するのか」という問いのひとつの答えでもあり、教える側の指針ともなる考え方だと思いました。

ただし、これらの力の源は、子どもたちの遊びの力だろうということも考えました。
塾に行って勉強の仕方を身につけたら分析力と俯瞰力が身につくというのは塾に期待しすぎです。子どもたちは遊びを創造するなかで分析や俯瞰の力の芽を育てていくのだし、そういう基盤があって始めて学習の効率が上がってくる。とここまで考えてきて、はたと気づきました。

子どもたちの遊びは、周囲の大人たちの模倣から始まります。
生活している大人たちが、日々、こまごまとした問題解決のなかで「分析」と「俯瞰」を駆使しているからこそ、子どもたちは遊びに取り込み、いつの間にか生きるための知恵を身につけていくし、それが学習という場面で生かされ伸ばされていくのではないか。。
でも、気がつけば障子も張り替えないし服も繕わない、近所で助け合うことも減り、なんでも買って済ませる大人たちに囲まれて、子どもたちの遊びも買ってナンボの世界に成り果てています。「分析」と「俯瞰」が、日々の問題解決が、どこか遠いところで行われているマーケッティングと商品開発に任されていて、ただ選びさえすればいい、裏を返せば選ぶことしかできない、そういう状況に置かれているのが今の生活です。

今の子どもたちは学習という場に立って初めて「分析」や「俯瞰」を強いられるのですね、おそらく。ちょっと悲しいことです。


そんなことを考えている中、九州で大きな地震が起こってきました。

日々起きてくる新たな問題に、前例のない問題に立ち向かい解決を迫られている人々が大勢いることだと想像します。
そんなとき必要なのが、物事を分析し、それらを総合して全体像を描く力です。
前例をなぞっているだけでは何が欠けているか見えにくいし、今あるモノを最大限に生かす知恵も生まれてこないだろうと思います。
災害の現場ではさまざまなレベルでその場に最も合った解決策を自分たちで考え出す必要に迫られ、
大人も、子どもも、ひとりひとりが、生き延びるために新しい力を得ていくのかもしれません。

最近の自然災害は平気な顔で前例を超えていくことが多くて、もう誰も他人事では語れないです。
この時代を生き延びるために、本気で「分析」と「俯瞰」の力をどう養うか考えるべきなのかもしれないです。