心身二元論の落とし穴(2)

身体じゅう調べてもたいして悪いところが見つからないのに、それに比べて症状が大げさな患者をひとまとめにしてFSS(機能性身体症候群)、ということだと、良く似た病気がありました。

 身体表現性障害

からだに現れるこころの病気。精神科で扱う疾患の名前です。
ストレスがかかったときに腹痛を起こしたりするのは誰でもあることですが、もう少し頑固な症状のものを指しています。自分の健康状態を気にしていろいろな症状を訴え検査を受けるが何も出てこない。症状は長く続き、仕事が続けられなかったり、生活に支障が出たりする。

身体の病気と精神の病気、別の名前がついているのだから別のものに違いないとつい思ってしまうのですが、

不定愁訴の診断と治療 よりよい臨床のための新しい指針不定愁訴の診断と治療 よりよい診断のための新しい指針』(Francis Creed他/太田大介訳、星和書店2014年)この本の第二章に、FSSと診断される人と身体表現性障害と診断される人がどのぐらい重なるかという研究の報告が載っていました。結論からいうと、かなりぴったり重なっています。この論文では、どういう名前で呼ぶのがいちばんその内容を的確に表しているかを吟味し、概念の統合を試みています。

つまり、ほとんど同じものを、別の角度から見ていたのではないかということなんですね。
新しい名前がついたら、同じもの、ということになります。

身体の病気と精神の病気が同じもの。紛らわしいです。
だいたい、「気のせい」といわれたら、仮病で気をひこうとしていると言われたみたいで悔しいじゃないですか。「良かったねどこも悪くなくて」とポンと肩をたたかれ、皆と同じように働くよう期待されるのですが、やっぱり体調がどこかおかしいのには違いない、それが半健康という状態です。社会とのすり合わせがうまくいかなくて、抑うつや不安が増幅されていきます。

待てよ。精神とは何ぞや?
それこそ、身体というものを、死体を解剖して研究できるような身体=ボディbodyを想定しているから、そこに宿る生命の源としての魂や精神という考えが起こるのであって、私たちはもともと、生きた命としての身体を時間軸の中で生きているのだと考えたときには、身体と精神というのはそう遠いところにあるものではないはずですよね。

この論文の最後のほうに、この病気をどのように理解するかという考え方がいくつかのモデルとして紹介されていました。どのモデルを使っても広い意味では、全体のホメオスタシスが阻害された結果の現れとして捉えられています。

ホメオスタシス。私は中学校あたりで保健か理科の授業で習った記憶がありますが、他の年代の方はどうでしょうか。恒常性=内部環境を一定の状態に保とうとする傾向。身体の生理的な機能が有機的に関わりながら健康を保っている状態がホメオスタシスですよね。

つまり、この病気は、身体の病気でもなく精神の病気でもなく、ホメオスタシスの病気だと考えるべきなんだろうと。そう考えるとすんなりとはまってくるように思えます。

この論の訳者解説でも、「身体疾患が見つからないことと精神的な異常が見られることは同義ではありません」(p.92)として「医師の側も患者の側も心身二元論の二分思考的な落とし穴にはまって」いないかと警鐘を鳴らしています。気のせいと言われて憤慨する患者も、身体が悪くないから精神の病気でしょうと言ってしまう医師も、同じ穴に入ってしまっているわけです。

新しい名称としては、この本では「複合性身体症状障害」と「身体的苦悩症候群」の二つが案として示されていますが、2011年に原書が出版されているのでその段階の案ということです。その後についてはフォローしていきたいと思います。