半健康の経済効果

先日取り上げた『不定愁訴の診断と治療 よりよい臨床のための新しい指針』(Francis Creed他)は、欧州での研究成果がたくさん掲載されていたのですが、その中で医療費や社会的損失との関わりも論じられていました。このことについて訳者の太田大介(聖路加国際病院心療内科)は「医療に関わるものが経済的な問題を論じることは歓迎されない空気が日本社会の中にこれまであったかもしれません」(p.43)と解説されています。

意地悪な見かたかもしれませんが、医師たちにとって、不定愁訴を持つ患者たちは収入源としては非常に都合がいいんじゃないかとかねがね思ってきました。
この病気で死んでしまうことはないし、だからといって簡単に治ってしまうわけでもない。
上手に取り込んでしまえば、長期的に通い続けてくれる。
治せないことにあまり罪悪感を感じなくても済み、話を聞いてあげているだけで、ずっとお金を払ってくれ、感謝さえしてくれる。

もしこの病気が簡単に治るようになってしまったら、困るんじゃないかしら。。。?

町中に立ち並ぶ整骨院やマッサージ施設、派手に広告を打つ健康食品、治らないからここまで繁栄しているわけで、この経済効果もかなり大きいだろうと思います。

「経済効果」とは通貨がやりとりされて、GDPを押し上げる効果のことですから、どんな商売でも繁盛すれば経済効果は上がります。
最初の段落に書いた「経済的な問題」は医療費の損失の問題ですが、医療費だって、たくさん使えば、「経済効果」は上がるはずです。

経済発展が最優先だった時代がかつてありました。
日本社会の中にこれまであったのは、医療に関わるものが医療費の損失について論じることができにくい環境ではなくて、経済効果と倫理的なものが相反するときにそれを真っ向から論じることができにくい環境だったのではないかと私は思います。

半健康状態で働けない、働いていても本来の力を十分に発揮できないということは、日本経済にとっておおきな損失です。
この病気は「気にしなければ大丈夫」というような単純なものじゃないし、原因となるストレスを取り除けば治るというようなものでもありません。患者は困っているし、人生の質を損なっているのです。
本当に治る方法がちゃんと確立され、そのためにお金が投じられるのであれば、真に意味のある経済効果だといえるでしょう。
不幸な人が増えるようなお金の流れは「偽りの経済効果」と名づけてもいいかもしれません。

そんな議論があちこちでなされるような日本社会になって欲しいものです。