ヨーロッパ思想の「心身二元論」への誤解を解く

このところ「半健康」「不定愁訴」「慢性疼痛」「慢性疲労」などに関することをいろいろ調べていて、ひと月ほどでかなりいろんなことがわかってきました。

ひとつ重大なことは、この病への理解が、いわゆる「心身二元論」の議論に引っかかってくるということです。こころの病は精神科、身体の病は身体科といった区別がつけられない場所にこの病の位置はあります。脳と神経の機能、ホルモン、免疫、などは、外界からの刺激に対する心理的な影響を受けつつバランスを取っているのですが、それらの調整不良によって起こる病と考えられています。

間違いなく身体の機能に異常が起こっているのですが、「認知行動療法」などの精神医療的なアプローチが有効であったり、心療内科の先生方がボディワークや瞑想法を研究されたりしている現状もわかってきました。

「精神的なもの」というと安易な精神論になって、気持ちを切り替えてポジティブ思考になればあっという間に治るとかそういう発想をしてしまいがちで、そのために病気をもつ人は「気のせい」と言われるのを嫌がるし、周囲の人は「甘えている」などと軽く考えてしまうことになり、ますます病気を辛いものにさせてしまうのですが、

それこそが、「こころ」を「からだ」とまったく別の次元で考えてしまっている結果です。実際は、身体にはその人が味わった人生の歴史が感情の記憶とともに納まっていて、いわゆる「深層心理」を扱う精神療法でやっとその人の生き方の軌道修正がされ、症状も少しずつ変化していくことになります。
なかなか難しい病気であることには変わりありません。

いわゆる「心身二元論」を超えて、人のこころと身体をひとつのシステムの中で捉えようとする試みがすでに始まっているのですが、このような場面でも、やはりヨーロッパの方が先に研究が進んでいて、それを日本があとから追いかけて取り入れているような感じがするのですが、どうなんでしょう。

そこで思い出したのが、この本に書いてあったことでした。
ヨーロッパ思想を読み解く: 何が近代科学を生んだか (ちくま新書)『ヨーロッパ思想を読み解く−何が近代科学を生んだのか』(古川博司、ちくま新書2014年)この本の初めの方に、西洋と東洋と日本の「この世」とそれ以外に対する考え方の違いをまとめた図がでてきます(p.21)。西洋の考え方では「この世」今生きている現実の世界の中に、「こちら側」と「あちら側」があるのですが、日本の考え方では、「この世」の外に「あの世」を持ってきてしまう。頭の中で描いている構図が違うということです。

この本では、この構図の違いを念頭に置いたうえで、西洋の主な哲学者の思想を解説しています。彼らがいかに「あちら側」にアクセスしようと頑張ったか、そしてその努力がわれわれ日本人にはどうしてわかりにくいのか、ということが、順を追って書かれていて、西洋哲学がわからないのは私だけじゃなかったと、ほっとする内容になっています。

西洋哲学というのは、キリスト教圏独特の世界観の中での問いの中にあって、私たちから見れば人類学的に外の文化に属するものだともいえます。彼らの頭の中では、この世の全てが神の創造物なわけで、創造された世界の中に人間の感覚で捉えられるものとそれを超えたものがあり、人間に捉えきれないものもちゃんと「この世」の中に存在することになります。
それに対してわれわれ日本人のメンタリティは、実在するこの世とは全く別の次元に「神々」や「たましい」や「こころ」を置いてしまう傾向にありますね。

この違いを確認した上で話を元に戻すと、

心身二元論というのは西洋で始まったのですが、二元に分けてしまっても、彼らの中では「こころ」も「からだ」も「この世」の中にあり、それらを統合しようとする場合にも、あくまでも「この世」の中にある、人間の認識がいままで及ばなかったところ=向こう側へアクセスするつもりでアプローチしているといえるのかもしれません。
心身症の理解について日本人が苦労するのは、「こころ」や「精神」をまったく別次元にある「実体のないもの」「とらえどころのないもの」として「からだ」と区別してしまうからで、日本独特の「心身二元論」が邪魔してしまったとも捉えられるのかもしれないと思うのです。

心身二元論」が日本に輸入されたときに、日本人独特の理解のしかたをされて変形したのであって、もともとの「心身二元論」はヨーロッパ思想の伝統の枠組みの中で、別の形を持ち続けていたのではないでしょうか。
これは私の思いつきで、今のところ何の証拠もありませんが、明治時代に日本が慌てて西洋の考え方を輸入した頃のことをもっと知りたいと思いました。

西洋哲学でいう「向こう側」についてもっと知りたい方は、どうぞ上記の本をお読みください。