世界の秩序感と健康

アーロン・アントノフスキーという人の考えた健康生成論と首尾一貫感覚(SOC:Sence of Coherence)というのを最近知りました。

健康の謎を解く―ストレス対処と健康保持のメカニズム『健康の謎を解く ストレス対処と健康保持のメカニズム』(有信堂2001)。ストレスがあるから不健康になるという論法ではなくて、不断に接しているストレスをどう扱って健康を作っていくのかという論法で書かれた本です。
耐えられないような辛苦をくぐってきた人の中にでも健康に過ごしている人はいます。そんな人たちを分析して出てきたのが、健康であるために必要なSOC=首尾一貫感覚。
1970〜80年代と少し古めの人なので、この理論を引用した研究が進められ、アメリカなどでは医療社会学の教科書に載っていたりする人なんだそうです。

SOCの定義というのは本に出ているのですが、私なりに超訳してみますね。3つの構成要素からなっています。
1)把握可能感 自分の周りの世界が秩序付けられた一貫性のあるものと感じられていること
2)処理可能感 人生に起こる物事に対処することができる、そのために周りの人や物を資源として使えると感じていること
3)有意味感  そうやって対処していくことは人生の挑戦であり、自分にとって意味があると感じられていること。

世界の大きさは問いません。その人が生活している世界がちゃんと把握できていて、そこで起こってくる問題を自分で解決していこうとすることが自分の人生にとって有意義だと感じられていたら、その人のSOCは高いといえるし、健康を作っていきやすいということです。

その通りですよね。SOCが高ければ、幸せな人生だと思います。外から見た境遇とはまた別の問題です。

自分のここ数十年を思い起こすと、最初の部分「把握可能感」が非常に弱かったように思います。九州に生まれて東京で学生時代を過ごし独身時代はハイテク産業でアメリカ西海岸と毎日ファックスでやりとりをするような世界で過ごし、結婚して関西に来て義父母と暮らしはじめたのが25年前。義父は大正生まれで日本海側の農村の生まれ。義母は昭和一桁で大阪の商家の生まれ。引っ越してきて友達もできないうちに子どもができ、義父母と家に閉じこもっているうちに、義父母とぶつかることが何の違いのせいなのか、世代の違いなのか、土地柄のせいなのか、自分が未熟なのか相手が無知なのか、本当に、何が正しいことなのかわからなくなってしまった、という記憶があります。

わからなくなった世界の秩序を自分なりに把握するために勉強してきたと思うし、そうすることが、自分にとっての人生の挑戦でありつづけたように思います。

世の中にはさまざまな価値基準があって、結婚すればパートナーが背景とする環境の違いにぶつかるのは普通のことだろうと思います。これまで絶対正しいと思い込んでいたことが自分の家だけのローカルルールだったと気づくこともあるし、これよりこれが大事という優先順位が入れ替わることもあるだろうと思います。でも、私の場合は、さまざまな事情によって、何を大事にしたらいいのか、すっかりわからなくなってしまいました。

今でも何が本当に大事なのかはわかりませんが、さまざまな文脈が入り乱れている状況が把握でき整理がつくようにはなってきました。
特に、最初のうち全く理解できなかった義父母の言動が含んでいた文脈がかなりわかるようになってきて楽になってきています。気がつくと不健康だったときのことを語れるようになっている、ということは、健康に近づいているように思います。