繊細さを磨き洗練させるという方向性

書店でふと出会ってしまう本があります。
引き込まれて、数ページ進んでは思いに耽り、読み終わるまで落ち着きませんでした。

あなたは、なぜ、つながれないのか: ラポールと身体知『あなたは、なぜ、つながれないのか ラポールと身体知』(高石宏輔、春秋社2015)読みやすい文体で自分のことを語りながら、人とのつながり方、コミュニケーションのあり方についての知恵を書いています。

私は今、民間のカウンセラー資格を取るための養成講座を受けていて、そこで学んでいることと重なることが多いのですが、それを専門用語で解説するのではなくて、日常の生活に即して、日常の言葉で伝えてくれています。

自分の普段のありかたに、深い内省を促す文章がちりばめられています。

特に印象に残った内容が二つありました。
ひとつは、「世の中にはもっと繊細な人がいる。君はもっと繊細になれる」という言葉です。
ひとより繊細だからといって世の中に適応できずにいたが、もっと繊細な人がいることに思いを馳せると、自分の繊細さをこれまで邪険に扱っていたことに気づき、もっと大事にしたいと感じるようになったというエピソードが書かれていました。

なんにでも個人差があり標準的な人は多数派だけれど、偏差値が高い人は少数派です。
スポーツ選手が技を鍛え競い合うように、繊細さを磨きもっと上を目指すということがあってもおかしくないと思い至りました。少数派だからといって多数派に合わせられないことを悩んだり、適応しきれなくて卑屈になったり見下してみたり、運動能力の場合でも、才能を見出されるまではそんな状態だった人もいるかもしれません。

繊細であることを嘆くより、もっと繊細さを磨くことを考えるべきなのだと。
繊細さに自信を持ち、それをより鍛えることで、生き延びることを考えるべきなのだと。


もうひとつ、印象に残ったのは、「リソース 人がすでに持っているもの」の話でした。人前で緊張して声を掛けられない悩みを持った人に、その人が得意なサッカーのボールに見立てて人に関わるよう促すと、相手に動きを合わせるコツがつかめてくるエピソードが紹介されていました。別のこととして捉えられていた分野が、その人のなかで関連付けられると、感覚が動員され始めるんですね。

私は3歳から音感教育を受け、音楽に関してはある種の繊細さをもっていると思うのですが、それを身だしなみや整理整頓や、人との関わり方に活かしているかというと、ぜんぜん駄目です。でも、自分の持つリソースを上手に生かすことで苦手を克服できるかもしれないと思いました。


カウンセリング技術というものが、コミュニケーションの繊細さを技芸まで高めたものなんだろうと思います。今の日本の社会で(他の国のことはわかりません)一般的に、繊細すぎる、敏感すぎることはあまり評価されない傾向にあるように思いますが、繊細さ敏感さを活かしきるためのスキルとして、カウンセリングの技術が役に立ちます。人々のさまざまな振る舞いを冷静に見つめる目を養い、自分の感覚と対話しながら相手と向き合えるようになれば、人を恐れることが減ってくるだろうと思いました。