生きていく知恵としての「トランス」道

前回とりあげた『あなたは、なぜ、つながれないのか: ラポールと身体知』の中からもうひとつ、大事だと思ったことを書きます。


この作者が「トランス」という言葉で言い表している、意識が外と内の両方に向いている状態のことです。

トランスというとスピリチュアル風な、霊が乗り移ってとかそういう意味で使われる言葉ですが、ここでいう意味は、そうではありません。
自分の心の中に静かに意識を向けつつ、周りの世界にも意識が向いている状態で、こういう状態になったとき初めて人はうまく対話できるようになる、と、この本の作者は書いています。
(p.148)。

自分の内側をゆったりと見つめ味わうことは、カウンセリングの用語で言えば「受容的探索的構え」(田島誠一)、「受動的注意集中」(自律訓練法)、マインドフルネス。。などいろいろな名前で呼ばれているものの相当し、カウンセリングの場では、クライエントがそういう状態になるよう誘導するということを行います。
内側を見つめることを強調するとマインドフルネスとなりますが、カウンセラーと対話しながらそういう状態になっているわけで、内側と外側の両方に意識が向いていると言えると思います。

人には見たくないもの、味わいたくないもの、できれば無いことにしてしまいたいものがあります。そのほとんどが、不快な経験だと思います。嫌なこと。失敗や恥、不安や恐怖。
それらを安全な場所で穏やかにしっかりと味わい尽くすことで自分は何をしていけばいいのか感じて歩き出すことができるのだとカウンセリングの学びでは習っています。

話を元に戻しましょう。「トランス」です。これはカウンセラーの相談室の中の話ではなくて、普通に対話しているときのことです。
会話の相手の機嫌をとろうと思っているときは、外ばかりに目が向いて自分の内側への意識はおろそかになっていますよね。また、自分の内側の論理で人の話を聞いてしまうこともよくあります。どちらでもなく、相手の立場や気持ちも感じながら、自分の気持ちにも正直に向き合うようなあり方のことを「トランス」と呼んでいます。

辛い体験をした人の中には自分の感情がわからなくなってしまう人もあります。自分の内側にしっかりと意識を向けることは案外難しいことです。また、普段から自分の感情の状態をしっかり意識できていて初めて、相手の状態を推し量ったり、調子を合わせていったりすることができるようになるので、まず、自分の内側がきちんと感じられていることがとても大事になってきます。

アー。今、ちょっと嫌な感じだったな。とか、ちょっと怖い、とか、照れくさいな、とか。
気持ちは言葉になる前にまず身体的な感覚として起こってきますから、自分の身体に敏感である必要があります。そして、起こってきた感覚をあるがまま、受けとめる。
人と対するときは緊張することも多いですが、その緊張も、あるがまま素直に感じる。

この内側の感覚が「トランス」にとって大事なのは私じしん体験的にとてもよくわかります。私も同じタイプなのでしょう。
さまざまな訓練をして内と外の両方に意識を向け双方が交流する状態をつくれるようになれば人間関係が楽になっていくに違いないと確信できます。

考えているうちに、これは何かに似ているんじゃないか、と、思いつきました。

芸事や武道などの鍛錬に似ていませんか。とくに、○○道、と「道」の字がついてるもの。
自分の内側の感覚に繊細に意識をむけつつ、外側のパフォーマンスを作り上げる。
私もピアノや歌をやりますが、身体や心の中で起こっていることと、出てくる音をつきあわせながら集中していきます。内だけでもなく、外だけでもなく、両方に集中するというところがとても似ています。

それなら、コミュニケーションにかかわる、トランスの鍛錬を「トランス道」と呼んでみたらどうでしょうか。ここからは私の提案です。
トランス道を究めることが、前回に書いた「繊細さを磨き洗練させる」ということの具体的な方法です。繊細さはそれだけでは役にたちません。究めてこそ力を持ちえるものです。

繊細な人ほど恐れや不安を閉じ込めたり、緊張を意識しすぎたりしていますから、初心者のうちは粗雑な人に負けてしまうだろうと思いますが、究める才能を持っているのは繊細なほうの人といえないでしょうか。
 
鍛錬の方法は、この本にかなり具体的に出ていますから参考になります。