人格を磨くこととマインドフルネスの関係

ここで私はマインドフルネスという言葉をかなり広い意味で使っているので、言葉の意味を調べようと思って検索してここへたどりついた方は他のサイトでの使われ方の方を参考にしてくださいね。ここでは、以前とりあげた「トランス」やカウンセリング用語の「フォーカシング」を含むような、静かにこころの内面と向き合っているような状態を大雑把に「マインドフルネス」と使わせてもらっています。

と、注釈を入れたところで、本題です。

感情をあるがまま受け止める、と、前回書いたときに、「押し込めたり」、「すり替えたり」しないで、と付け加えました。

悲しみや傷つき、悔しさなどネガティブな感情には不快感が伴います。この不快感を逃れるため、「なかったことにしたい」という力が働きます。嫌な感情にさらされるのが怖いのです。

そこで持ち出されるのが「防衛機制」と呼ばれている心の働きで、「抑圧」「合理化」「昇華」などがよく知られています。より病的な原始的な防衛として「否認」や「原始的理想化と価値下げ」などがあります。下にあげたのはカウンセラーの講座で紹介していただいた本ですがとても良くまとめてあったのでここでも紹介しておきます。
パーソナリティ障害の診断と治療『パーソナリティ障害の診断と治療』(ナンシー・マックウイリアムズ、創元社2005年)医学書のような表題がついていますが、まえがきを見るとカウンセリングや心理療法の研修生向けのテキストとあります。分厚い本ですが、基本的な内容をがっちりまとめたという感じの本でした。

と、横にそれたのでまた本題に戻ります。

防衛機制をつかって、私たちは不快な感情から逃げようとします。逃げた結果、人間関係がややこしくなったり、目標を達成しづらくなったり、生きづらくなったりしているのに気づかないことがよくあります。だから、

逃げないで、ありのままを感じることを学ぶことで、私たちは、即、生きやすくなったり、人間関係が楽になったり、目標を達成しやすくなったりなるとも言えるわけです。

それは、人格的に成長する、ということです。

狭い意味での「マインドフルネス」はアメリカで開発されたストレス逓減法で、禅の瞑想にヒントを得たと言われていますが、これをもっと広い意味で、禅の瞑想的な、ありのままを感じながら内面にも外にも開かれた状態を作ることと捉えたとき、このあり方は、日本のさまざまな武道や技芸の、○○道という類のものに共通してあるものではないかと私は気づきました。

日本では、○○道と呼ばれるものを学び追求していくことで、不快な感情から逃げないことを学び、メンタルヘルスを高め人生の質を上げることを学んできたのではないかという仮説が成り立ちます。

もしそうだとしたら、

現代の子育ての環境というのは、日本が伝統的に育んできたとてもレベルの高い人格教育システムをすっかり無視しているのでは、という問いが生まれてきました。

さまざまな傷つきの体験から原始的な防衛から抜け出せなくなっている人、思い込みにとらわれて強い不安に襲われ不適切な防衛を使うことが習慣になってしまっている人、生きづらい人たちには生き方の癖があり、それに気づくために深く自分を見つめる機会を持ってもらうのがカウンセリングだと学びました。でも、そこまでこじれてしまう前に人格を磨くより広い一般的な方法が、人格の教育だと思います。これが、今の日本には、圧倒的に不足している。。。そう思いませんか?


他の国の事情はよくわかりません。でも、輸入されもてはやされているマインドフルネスと武道などの世界の近さを思うと、なんだか、もったいないことをしているのではないかと感じています。