複雑性PTSDの記述から見えてくるもの

ひとつ前の記事では大雑把に気分障害と書きましたが、気分障害のすべてが発達障害や複雑性PTSDから起こるということを言っているのではないです。ここでも注意しなければならないのは、気分障害というのも状態像の名前であって、ひとつの原因で起こっていると考えられているわけじゃないということです。

内科領域で言えば「咳」とか「発熱」とかが診断名になっているような感じで違和感がありますが、原因がはっきりわかっていないものにはそういう名前をつけざるを得ないということなのかなあと思っています。

それに対して、複雑性PTSDという名前の付け方は、より原因側に立っているように思えます。
長期にわたってしかるべき愛着関係に守られることなく心に傷を負い、その傷の痛みを回避するために通常と違う記憶の仕方をしてしまったために、後々になってさまざまな症状を引き起こしている一連の現象を複雑性PTSDと呼ぶようです。

複雑性PTSDで起こる症状には次のようなものがあげられていました(杉山p.80)、1.気分変動 2.記憶の断裂 3.時間感覚の混乱 4.フラッシュバックの常態化 5.生理的症状と心理的症状の区別がつかない結果としての慢性疼痛 6.対人不信

他人から見ても明らかにわかるような虐待のケースでこのような状態が起こるのは理解されやすいし、まずそのような原因を持つものにこの名前が付けられるとします。しかし、他人の目に見えないところで起こっている親子の愛着の困難さやこじれが、似たような状態をつくっていくことしたら、なかなか理解しづらいかもしれません。

カウンセリングの学びではいわゆる精神分析の流れから親との関係に由来する対人パターンについて考えてきましたが、これを当てはめると、ほとんの人が持つ心の問題や慢性疾患の問題に、この複雑性PTSDによく似た原因が関わっているのではないかと思えてきます。杉山(p.49)も転移や投影などの力動精神医学の言葉がフラッシュバックに起源を持つものとして言い換えられることを述べています。複雑性PTSDに似たものを多く持っている人から少なく持っている人、より健康な人へとスペクトラム状に連続しているとイメージできるかもしれません。杉山の説を採れば、複雑性PTSDが親子の愛着困難を産み、次の世代の複雑性PTSDを育ててしまうのですが、それは状態像としては発達障害に見えるものになることもあれば、違う形を取ることもあるのではないかと私は思います。パーソナリティ障害と呼ばれるものやその傾向を持つ性格はどうでしょうか。

杉山がトラウマを中心に据えて議論をすすめているのは、トラウマに焦点を当てた治療法が開発され、より確実に状況を改善することが可能になってきた背景があります。杉山はEMDRと漢方を組み合わせて成功した例をたくさん紹介していますが、この他に最近はさまざまな療法が開発されているとのことでした。
我々が抱えるこころの問題や性格の悩み、慢性疼痛などの根っこにトラウマという問題が隠れていて、それを解決する方法が簡単に提供される時代にもしなったら、世の中はかなり変わるのではないでしょうか。

子と親の臨床 そだちの臨床2 (こころの科学叢書)