治療よりも知恵をさがしたい

実は私の方より夫の家系の方がずっと本来の意味でのASD素因的なんですよね。

細密な技法を使う工芸師としてそこそこ成功した人をルーツに持ち、エンジニアとして企業に勤めた人がぞろぞろいる家系です。技術系で思考の緻密さに長けているように見えます。でも彼らは総じて穏やかな性格で親孝行であり、親戚どおしの結束力が強く、私から見ると羨ましい限りなんですよね。夫も屁理屈みたいな議論ばかりして笑わせてくれますが、世話好きで暖かい人ですし、いつでも落ち着いていて理性的、気分の変動は標準より少ない方でしょう。

これを見ると、私はますます自分のもともとの家族に自信を失くしてしまうのですが、詰まるところ、子育てに上手い下手というのがあって、私はあまり上手なほうじゃないし、私の親もあまり上手じゃなかったというのが現実なのだろうと受けいれざるを得ないです。

発達障害とどれだけ騒がれても、周りを見回せば上手に育て上げればただの個性だということが実例として示されているような気がしたし、私に責があると思うから、苦しい思いをしながら知識を集めてきたし、それが私の半生になってしまいました。
私の家系のほうは夫のそれに比べるとずいぶんと複雑性PTSD気分障害の要素を持っています。人はトラウマを背負うだけで人間関係が不得手になり、こだわりが強くなり、周囲の状況に上手にあわせていくことが辛くなるのであって、これは本来のASDとは区別するべきでしょう。本来のASDの人がトラウマを負いやすく、その状態像に自閉症と名前を付けたので、状態像が似ているものが混在した形で扱われているのが、現在のASDなのではないでしょうか。


がんらい日本という国には、頑固でこだわりやの職人がたくさんいて、そういう素因を持った子どもたちを支えたり育てたりする知恵はたくさんあったはずなのです。
トラウマを残さない知恵も、トラウマを乗り越える知恵も、場合によってはやりすごす知恵も。
マインドフルネスがそのひとつだろうし、その類縁に武道や禅があります。
「治療」じゃなくて、「知恵」を探したい気がします。医療ではなく教育や看護に相当する、ひとりひとりに合わせた手当ての方法や、自分で学んでいけたり子どもに教えていけたりする方法です。