親子の関係性から自閉症スペクトラムの症状が生まれるという仮説(2)

記事のタイトルには発達障害だけに関係するかのように書いていますが、実は少し違います。この本に書かれている仮説は、ASDのみならず、心身症や神経症、人格障害的なもの、解離、統合失調症的な精神疾患の全ての源に、乳児期の養育者との関係の歪み、ほぼイコール母子関係の歪みを見ています。もともとは同じような関係の歪みだったものが、子どもの側の対処方法の違いによって別なものに発展していく。

最初の関係の歪みというのは、繰り返しますが以下のようなものです。

母親が直接関わろうとすると回避的になるが、母親がいなくなると心細い反応をする。しかし、母親と再開する段になると再び回避的反応を示す。(p34より)

 お母さんに甘えたい気持ちと、お母さんを拒否する気持ちが同時にあるので、著者の小林はこれを「あまのじゃく」と表現しています。これにちなんで、このブログでは、

   小林隆児のあまのじゃく理論 

と呼ばせていただきたいと思います。

「あまのじゃくな」乳児は、幼児期になると独自の対処方法をパターン化させていきます。母親を回避し、ひとりで同じことを繰り返すなどの行動は発達障害になるし、母親の意向に合わせることで認めてもらうパターンは神経症に、母親に気に入られよう、取り入ろうとしたり、わざと気をひく態度に出るパターンは人格障害に、ひとりで空想に没入する、周りに圧倒されるなどは精神病的な状態へ発展していくと小林は見ています。

これらさまざまな障碍や病気がひとつの理論で説明できてしまうのは、精神病理学としてはかなり画期的なことなんだろうと思います。遺伝的な素質や他の環境要因がパターン化の過程や幻聴などの症状の出方に影響を与えていると考えれば、他の研究と全く対立するわけでもないでしょうから、今後の研究の展開に期待したいと思います。

私が関心があるのは、世の中の親子の全体のなかで、どのくらいの割合に「あまのじゃく」な関係が現れているのだろうかということです。私の周囲を見回した限りでは、かなり多いのではないでしょうか。とても勘がよくて上手に要求に応えられる母親のもとで安心して過ごせている乳児が、圧倒的多数だとはちょっと思えないです。子どもを産んでいるのは若い女性で、初めての子育てに試行錯誤しているのが普通ですよね。自分があまり上手にできなかったからかもしれませんが、特殊な母親が特殊な子どもをつくるという話になるのではどうも実態から離れてしまうような気がするのです。

ほとんどの人間は「あまのじゃく」な部分をひきずったまま成長してきて、対人関係のパターンの中に神経症的なものや人格障害的なものを内蔵しているのが現実のように思います。それが人生の面白い部分かもしれません。でも確かに、人を生きづらくさせ、悩みの原因を作る部分でもあります。

飛躍してしまいますが、これっていわゆる、仏教でいうところの

 煩悩(ぼんのう)

というものに類するのものじゃないか、という気がしてきているのですが、いかがでしょうか。

「あまのじゃく」と呼ばれている甘えのアンビヴァレンスとは、成人までひきずってしまえば、甘えへの「執着」と読み替えてもいいもので、なんらかの精神修養を積むことで脱却できるもの、新しい人間関係=出会いによって変化していくものとも考えられるのではないかということです。

この件については、もう少し続けていろいろ書こうと思っています。

自閉症スペクトラムの症状を「関係」から読み解く:関係発達精神病理学の提唱