心理学の歴史を知ると見えてくる愛着理論の真実

ややこしい話が続いて恐縮ですが、わかりにくいけど大事なこともあると思うので書かせてくださいね。

ジョン・ボウルビィの「愛着」理論というのがありますよね。このブログでも愛着障害というカテゴリーを設けていますが、この「愛着」の英語は attachment アタッチメントです。英語のもともとの意味としては付属品とかくっついているとかそういう意味の言葉で、そういう見た目の客観的な状態を表した言葉です。

日本語訳の「愛着」が、それこそ仏教用語の「愛」という語の用い方を彷彿とさせる、執着心をともなう強い感情のことを意味した言葉なので、日本人には「愛着理論」はそのような感情、いわゆる「甘え」感情についての理論なのだとなんとなく理解されてしまうだろうと思います。私もそのように理解してしまっていたのですが、ボウルビィが愛着理論を発表したころの事情は少し違っていたようでした。

『愛を科学で測った男』(デボラ・ブラム、白揚社)の記述を見ると、ボウルビィやハリー・ハーロウが活躍する前の20世紀初頭のアメリカでは、人間の感情について研究することはかなり異端とみなされる状況だったことがわかります。

20世紀初頭の医学界では、超がつくほど清潔で、無菌状態で覆われた赤ちゃんが病気予防上の理想とされており、それ以上を望むなら安全な子宮に戻すしかないと言われていた。(p.55)

心理学者は測定可能で修正可能なものだけに専心すべきだし、動物に反応を条件づけるのと同じ方法で、人間に条件づけできるはずだ。(中略)大人は、子どもを条件づけ、訓練することに集中すべきだ(p.60)

心理学史にあまり詳しくない人でも、パブロフの犬の実験のことは知っているという人もあることと思います。条件づけと言っているのは、そのような条件反射のくせをつけていくことを指しています。この時代の心理学は感情を扱わず、行動を観察して定式化することに終始していたということらしいです。

同時代に流行していたものに精神分析がありますが、こちらは現実の親子の絆を大事にしていたかといえばまたそうではなくて、乳児の内面で起こっている夢想のようなものが大事だとしていたと書かれています。

そのような医学や心理学の伝統を打ち破るべく、ハーロウの実験が行われたし、ボウルビィの愛着理論は世に出たということです。詳細はこの本からもよくわかりますので、興味がある方はぜひ読んでみて下さい。

転じて日本の状況について考えてみようと思います。

 

20世紀の前半といえば、二つの世界大戦があったころ、日本でいえば、大正時代から昭和時代の前期にあたる時代です。

なにかといえば西洋の学問の方が優れているとして輸入し、日本古来のものは非科学的だとか言われて捨てられてきた時代だと思います。それでも現代のように情報がいきわたっているわけではなくて温度差があっただろうとは思います。私が覚えている限り、1960年代の日本でもまだ母親はおんぶ紐で子どもを背中にくくりつけたまま家事をしていたし、家庭での出産もありましたから、それがもともとの姿だと考えられます。その中にはいってきた、「西洋の優れた」「科学的で先進的な」出産や子育てというのが、極端に清潔優先で感情の絆を無視したものだったということだったということで、代表的なものが、「抱き癖がつくから抱かない」育児であり、病院で出産し乳児を清潔な乳児室に集めて管理する方法だったと考えられます。その後愛着理論が入ってきてもともとの日本流の子育ての良さが見直されたという形になっている、という流れです。

なんだかしらけた気分になってきませんか?

私は、先進的な西洋の科学って何だったんだろうという気分になったのですが、いかがですか?

「甘え」という感情について、母親に生じる子育てしたいという思いについて、まだまだ研究されていないことは多いのだろうと思います。学術研究とかかわりのない普通の生活感覚では紛れもなくあると感じることが、あるのかないのかさえわからないというが「科学」なのだという真実。

どういう子育てが正解なのかは、科学はぴったり明らかにしていないのだろうと思います。もちろんわかってきたこともたくさんあるのでしょうが、鵜呑みにせずに自分の感覚と照らし合わせていくことも大事だろうと思った次第でした。特に日本人には馴染み深い「甘え」についてはほとんど外国では研究されていないようです。アタッチメントとのニュアンスの違いについても注視していきたいと思います。

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