面白くて怖い地政学

お正月から佐藤優『現代の地政学』(晶文社2016)を読みました。
ロシアやヨーロッパで身につけた国際感覚で捉えた近未来の情勢予測が惜しげもなく書かれている本で、その鋭い分析力、根拠となる情報の厚さに圧倒されました。

地政学という言葉は最近急激に使われ出しました。日本では戦前の全体主義的な思想と絡めた言葉として嫌われていたのは、以前聞いたことがあります。それに加えて、冷戦時代はイデオロギーが国際政治のものさしとして機能していたためにあまり必要でなかったという説明もあり、なるほど私たちの世代が全く疎いわけだと納得しました。

地政学とは、ざっと言えば地理的な条件から考える政治学と捉えられますが、山や川などのほかに宗教や言語など土着で変わりにくいものも条件となり、そのなかでうごめく各勢力の拡大や縮小、反発や連携などを扱います。
世界史の教科書に出てきたさまざまな国家の盛衰も、地政学的に考えるとある一定の傾向や法則的なものが見えてくるし、国際ニュースも見えやすくなってきます。大事なのは標高、山だと強調していました。地図が立体的に見えてくることで勢力どおしの関係が読みやすくなってくるのだそうです。

国際情勢を読むときに地図を広げておくのは当たり前といえば当たり前ですが、平面的に見ているだけではゲーム盤の陣取りのように単純に見えてしまい十分ではないということのようです。平面ではなく立体。そして気候風土や宗教、その土地が持つ歴史的経緯などを総合的に情報として使う。高校の地理Bの情報が役に立つといいます。


地政学は、戦略をたてるために使われる実学としての面が強いために、怖い面もあります。
面白くて、怖い。それは、人間の生の欲望や情念のようなもの、人間の集団が持つエネルギーの塊のようなものを単位として扱っているからです。個々の人間を個人として見るよりもむしろ集団全体の成員として見なす全体主義的な立場を取りますし、それぞれの集団が持つ価値観が存続をかけてぶつかり合うという見方を取るので自分が所属する集団の利益のための策略に使われていく運命にあります。

私たちの世代は1970代から80年代にかけて教育を受け、そういう人間臭いものにひどく疎いように思います。政治学の学士号を持っている私ですが、学んでいた当時の記憶では地理というのはあまり出てこないです。親になってから、子どもと地図を広げてニュースなど見ることも増えたし、息子の方が数年前ぐらいから地政学という言葉を気にしだし、私も興味を持ってきました。冷戦の時代は、アメリカがなんでもすごいと言われていた一方で社会主義的なものに憧れもあり、国境線がないと平和になるとか、労働者が連帯すると社会問題が解決されるとかいうのがインテリっぽくてかっこいいように思われていたように思います。そのあとポストモダンというのがやってきて、一言で言えばしらけた感じになってきました。あの頃は、個人より集団の全体を強調するのは古臭くて反動的に見えたし、一国の利益を追求するより世界共通の価値を見つけ広げていくのが新しくまた正しいことのように見えていたように思います。そのような時代に教育を受けた50代が引っ張っているのが今の社会だし、何か気が抜けたようになっている面があるのではないかと思います。

そういう意味では、地政学が見直されてくるのはバランスをとろうとする動きとも見えるし、実際必要に迫られてくる感じもあるように思います。中東やヨーロッパ、ロシアの動きなどがどんどん身近になり日常に影響を及ぼすようになってきているように感じられています。アジアの国々やアメリカの立場も流動的です。世界共通の価値が広がっていくように見える一方でそれぞれの集団の個性も目立ってきています。

ひとつ間違えば戦争に使われる地政学ですが、世界を安定させる、平和を維持するというためにも使いこなすべきものなのだろうと思います。

現代の地政学 (犀の教室)