根拠がないというのはまだわかっていないということ

愛着障害という呼び名はそれなりに浸透して、関連本も増えてきているようですが、これに関して、以前から気になっていることがありました。

アタッチメント、幼少期に確立される、親と子の情緒的きずな。親がいない場合は代わりの養育者でも構わないけれど、生まれてきた子どもはまず誰か1人の人間と強い絆を結び、それを足がかりとしてより広い人間関係へと社会性を広げていくということは、発達心理学の世界では常識とされています。この理論を基礎にして、「愛着障害」の解釈が成り立っているわけですよね。

しかし、このことと、女性の社会進出という文脈で語られる「三歳児神話」を語る言説には、喰いちがいがありますよね。
3歳までは親の手で、なんて話は、古臭い迷信だから信じてはいけないとか、子どもを預けて働きに出たほうが、母親のメンタルヘルス上も良いのだとか、そういう言説です。ちょうど私が出産した1990年代ごろからあちこちで言われ始めて、日本中に広がっていきました。

実は、私の義母という人が、このような新しい言説には頑固に反対の意見を持った人で、自分の子どもが小さい時期、私は「新しい」言説と、義母との板ばさみになり、かなりつらい立場に置かれました。
のちに愛着理論も学びましたが、より強い葛藤の中に放り込まれたように思います。
アタッチメント理論では重要とされる幼少期の親子の絆が、「三歳児神話」では、根拠のない「神話」として片付けられています。
この矛盾を誰も指摘していないことが、気になることでした。

長い間、裸の王様の行進を不思議がる子どものような気分で過ごしてきました。
やっと見つけました。この矛盾についてまっすぐ議論に乗せている本を。

女が女になること『女が女になること』(三砂ちづる、藤原書店2015年)この本には妊娠出産に関わる女性の身体についての話も出ていてそこも大事なところなのですが、それはまた別の機会に譲ります。
この本でははっきりと、1990年代ぐらいから日本の社会に広まってきた「小さい子どもと母親が一緒にいるべきだという考えは神話にすぎない」という言説について検討し、これが子育てや人生の実感とどうしても合わないこと、アダルトチルドレンなどの「生きづらさ」に絡んで語られる母との関係性の重要さとの強い矛盾を指摘しています。
厚生白書という公的な刊行物がありますが、この厚生白書の記述の変遷をたどると、1990年代に入って急激に保育サービスの必要性が語られ、平成10年(1998年)には「母親と子どもの過度の密着はむしろ弊害」「父親やその他の育児者との役割」「三歳児神話に合理的根拠はない」などの記述が見られるといいます。この「合理的根拠はない」に対して、この本の著者はこう返しています。

現実には、上記の心理学を中心とする研究における乳幼児と母親との関わりの重要性についての言説は、いまや、古典ともいえるようなものだし、その後も、医療、看護、保育、心理学の専門領域においても着実に研究が積み重ねられているから、「科学的根拠がない」とは現実には、とてもいえないのだ(pp.176-177)。

よくぞ言ってくださいました。初めてこのくだりを読んだとき、ほっとしたのを覚えてきます。

「神話」とネーミングされたことが、古臭い、時代遅れという強いイメージを作ったのではとこの本では分析しています。そういえば私が子どもだった昭和の後半ごろというのは、日本に昔からある風習などがことごとく「迷信」といって否定されたものです。
「迷信」とか「神話」とか言われてしまうと、それを信じているのは遅れた人間だという見え方になり、多くの女性たちの行動様式に影響を与えたのではないか。「巧みなネーミング」(p.108)と表現してありましたが、この本ではそれがプロパガンダであるという断定はしていません。
でも、なんらかの価値観のもとに、女性を家庭から労働の現場へ連れ出すことを奨励する意図を持って「神話」といういい方が選ばれたことは疑いようがないように私には思われます。女性は「自立」するために働く必要があり、子育てを支援するために保育所が必要という流れが作られてきました。

昭和の昔に「迷信」といわれたことも、最近は見直されてきたことも多数あります。アタッチメント理論では親子の絆が大事ということで、働く親たちも短い時間に絆づくりに精いっぱい取り組んでいるのかもしれません。
大人たちの働き方、子どもの育てられ方が変わることで何が起こるのか、わからないことがたくさんあるのだろうと思います。
科学的根拠がないというのは、科学的な方法で「間違っていることが証明されている」という意味ではありません。まだ研究がすすんでいないというそれだけのことです。それなのに、もったいぶって「科学的根拠がない」という言い回しを使うときは、議論をある方向に向けようとする意図があると読むのが正しいだろうと思います。

矛盾の謎は解けたけれど、どういう育てられ方がその子の人生にとって良いのかという問いの答えが出たわけではありません。「働き方改革」が議論になっている今年の話題に、ぜひ、アタッチメントとその後の人生についての議論を加えて欲しいものです。