歴史に気づく衝撃

今までこういう歴史だと思っていたことが実は違っていたことに気づいて衝撃を受けたという経験はありますでしょうか。

私は子どもの頃、親に昔は物がなかったとか、貧しかったとか言われて育ったので、日本は太古の昔から少しずつ順序よく豊かになってきたのだとばかり思っていました。しかし大人になって、大正時代から昭和の初期にかけて、都市部には見事な建築物が立ち並び着飾った人々が美食していたことを知り、それらが一度戦争で失われたという事実の重さに衝撃を受けた覚えがあります。

こういうのを何というのでしょうか。文化の違いに衝撃を受けるのはカルチャーショックといいますから、ヒストリーショックとでも名づけてみましょうか。

今回の私のヒストリーショックはかなり大きいものでした。

先日、大分県の宇佐というところに行ってきました。ローマ字でUSAと綴るのが印象に残り、一度行って見たいと思っていた場所でしたが、ここで宇佐神宮に参詣して驚きました。

宇佐神宮は全国の八幡系の神社の本山とされるところです。広い境内の中で、こんもりと盛り上がった場所に国宝の本殿などいくつかの建物がありますが、残りの平坦な場所は広々としています。歩き回ったり、展示された資料を見たりしているうちに、この広い場所がどうも寺院の跡地であるらしいことに、だんだんと気がついてきました。神仏習合。江戸期までは神社と寺が同じ敷地にあることはよくあり、明治期に神社と寺が分離され、今のようなかたちになった。と、ここまでは学校で習った知識が使えたのですが、今回はその先がありました。

神社で求めたパンフレットなどの説明によると、八幡神というのは仏教に縁が深く、祀られている応仁天皇はしばしば僧の姿の神像で崇められるということ。習合というとお互い仲良くやっているぐらいのイメージがあったのですが、より深く神道的なものと仏教的なものが一体感を持っているという印象を受けました。確か平家物語に八幡'大菩薩'に必勝を祈る場面がありました、古文の時間に読んだ覚えがあります。そんなことも頭をよぎりました。神仏分離によって寺の部分が廃された今の宇佐神宮は、本来あるべき姿を失い、非常に不自然な状態にあるのではないかという思いを強く持ちながら、帰路につきました。

その後、この本を読んで、本当にびっくりしました。
廃仏毀釈百年―虐げられつづけた仏たち (みやざき文庫20)廃仏毀釈百年』(佐伯恵達、鉱脈社1988)おもに宮崎県の廃仏毀釈について書かれた本ですが、廃仏毀釈という出来事の背景や全国的な展開についてもきちんと押さえてあります。私は出身地が宮崎なので地名に土地勘があることもあり、リアリティを持って読むことができました。

宮崎市内に推古天皇勅願寺聖徳太子の建立とされる古くて大きな寺院、伊満福寺が栄えていたことは初めて知りました。この寺が神武天皇社とされる場所の祭事を取り仕切っていたこと。今の宮崎神宮のある場所にはもともと五所稲荷だけがあり、明治維新後に神武社を移して新しく神社が作られたこと。寺の方は壊され廃されたこと。
強く衝撃を受けたのは、そのやり方の荒っぽさです。暴挙といってもいい。役人たちが突然やってきて仏像仏具を破壊し、住僧を崖から突き落としたということでした。
廃仏毀釈について奈良興福寺の例など知らなかったわけではなかったのですが、宮崎にそこまで大規模な寺があって、故意に破壊され、ほとんどの人が知らないし、子どもにも教えていないということは、想像もしていませんでした。

今の鵜戸神宮修験道の寺であったし、青島神社は弁財天を祀る祠であったことも出ています。宮崎県内で当時廃寺になった寺院は総数六百五十、支坊支院などを含めるとゆうに一千を超えるだろうと書かれていますし、寺院名のリストも出ていました。

この数の多さ、歴史の古さが、ヒストリーショックといいたい理由です。

現在、宮崎県で観光名所になっているのは神社であって寺ではありません。京都や奈良はもちろん、大阪や東京には有名な寺がありますが、宮崎にはありません。四国や紀州、信州、東北地方にも有名な寺があるのに宮崎にはないのです。宮崎では、土着の信仰はあっても仏教は栄えていなかったのだろうと勝手に思い込んでいました。田舎コンプレックス、教養コンプレックスにも繋がっていました。歴史観が世界観や人生観に影響を与えていたと言えるだろうと思います。

でも、そうではなかった。宮崎でも仏教は盛んだったし、歴史の古いたくさんの寺があり信仰も行われていた。しかし、事情によってそれは破壊されてしまった、というのが本当の歴史のようだとなると、俄然、故郷の見え方も変わってくるし、自分のあり方にまで影響してくるような気がしてきます。

神仏分離に続く国家神道の時代を経て、神社にお参りしても、もともとの神仏習合の姿を正しく教えてくれることはないのだということも今回改めて知りました。この神社は神話にでてくるナントカのミコトを祀っているという由緒が、明治以降に作られたものである可能性もあり、もともとのご本尊は仏像であったり、インドの神様であったり、さまざまな由緒を持つ神社が全国各地にあるらしいということも。

なお、廃寺となった寺のいくつかは再建されています。伊満福寺もちゃんと検索できたので、安心しました。

※追記(2017/4/21)伊満福寺は廃された、と書きましたが、正確には神社造りににして伊満福神社の社札を掲げ厨子の中に聖観音菩薩像を納めてしのいだことがこの本の中に書かれています。