臓器の不具合と考えるか、調節の不具合と考えるか

先日、発作性上室頻脈 という診断が下りました。やっと、です。

聞きなれない診断名かも知れないですが、不整脈の一種です。何年も前からときどき急に脈が速くなるのに気がついていましたが、病院で心電図をとってもそのときは出てこないのでなんとも言えず、ということで、なんとなくうやむやになっていました。

ホルター心電図も初期のものよりずっと使いやすくなったと見え、ちょちょっとつけていただいて普段通りに生活し、次の日にささっと外していただいて、数分後には診察室で結果を説明していただきました。

この病気の細かいことは、他の専門サイトで勉強してください。

とにかくわかったのは、命にかかわる病気ではない、ということでした。それから、年を取って悪くなる人もいれば、良くなっていく人もいる、という説明が印象に残りました。

要するに、心がけ次第ということなのね。と受け取りました。

不思議と、ヨガ教室に行っているときは不整脈を感じたことはありません。いや不思議ではなくて、そういうものなのでしょう。からだ全体の調節機能がアンバランスを起こして脈拍に乱れが起きるのであって、いわゆる自律神経と関係しているのだろうと想像します。

とまあ、納得したわけですが、

お医者さんがそう言ったということじゃなくて、私なりにそう解釈した、ということです。

そう解釈したことで、かなり不安が取れました。ヨガをがんばろう、それからマインドフルネス。

人間のからだは、機械ではありません。パーツが壊れているから、パーツを取り出して部品を変えて修理すると全体の具合が良くなる、という代物ではないです。でも、ほんの少し前までの医学は、人間の体をパーツに分解することで理解し尽くせると考えて発展してきたという歴史があって、今でもその遺産を引きずっています。私の不整脈は心臓そのものの病気ではないのだけれど、心臓に症状が出てしまうために臓器の病気のような捉え方をしてしまいがちなのだろうと思います。

さまざまな病気が、臓器の不具合と考えられてきましたが、人間ぜんたいの機能のアンバランスから起こってきていて、そこに根本の原因があると考えた方がしっくりいきます。それが、新しい時代の考え方だし、より優れた考え方だと、私は思いますが、いかがでしょうか。