今向き合っているのが世間なのか社会なのかを意識するだけで変わる

「世間」と「社会」を区別して論じている方は演出家の鴻上尚史さんです。『コミュニケイションのレッスン』第2章によると、

 世間=あなたと利害・人間関係があるか、将来利害・人間関係が生まれる可能性の高い人たち

 社会=今現在、あなたと何の関係もなく、将来も関係が生まれる可能性が低いひとたたち

と説明されています。「世間」も「社会」も、単語としてはさまざまな意味合いを持つ一般的な言葉ですが、ここでは、コミュニケーションしようとしている相手を二つに分けて考えるためにこの言葉を限定的な意味で使っていることに気をつけて読んでください。

多くの日本人が、知っている人がたくさんいる「世間」が本当の意味で生活する空間で、「社会」はだまってやり過ごすもの、と思っているのだと書かれています。会社や学校や家族は「世間」だけれど、大きな街ですれ違う人や電車に乗り合わせた人は「社会」ということになります。

「世間」と「社会」で大きく違うこととしてあげられていたことで、特に印象に残ったのがこれでした。

  「世間」は、本当の意味で所属メンバーのマイナスになる提案はしない

    「社会」は、自分たちの利益を守るために、相手に不利益な要求をすることもあるし、価値観を共有していないから、よかれと思った提案が相手のマイナスになることもある

「田舎の人が都会でだまされやすいと言われるのは、田舎の人が純朴だからというより、田舎の人が田舎という比較的壊れていない「世間」に生きているから」と書かれているのには、かなり衝撃を受けました。

私は生まれた町から出て生活していろいろ苦労したけれど、父や母は小さな町から出たことがない人ですから、「社会」のことはわからないわけです。私は、「社会」と対峙するコミュニケーションのスキルを知らなかったために苦しい思いをしたという面もあるのかもしれない、と思うと、悔しいような悲しいような、複雑な心境です。

最近、人と対立することが怖かったり、気持ちが通じず行き違うことが怖かったりする自分に気づいています。多少の軋轢はあっても相手を上手にかわしながらさわやかに自己主張できるスキルさえあれば、もっと楽に生きてこれたはずです。これはスキルだから訓練すれば身につけられるもの。生得的な差だとあきらめたり、苦手意識から逃げてしまったりせずに、気長に挑戦し続ければ必ず習得できるものなのだと思います。

このスキルは、大学院入試にも必要だと感じました。自分の考えを論理的に説明し、反論があっても冷静に吟味できることが必要とされています。そのためには、染み付いてしまった恐怖心から逃げずに向き合うことが大事だとも感じています。

コミュニケイションのレッスン (だいわ文庫)

コミュニケイションのレッスン (だいわ文庫)

 

 この本が論じている大きな論点に、「世間」と「社会」の関係が、インターネットの時代になって変わりつつあるということがあります。現実の世界でうまく言えなかった気持ちのはけ口としてネットが存在していることで、相手に上手に伝える技術がなくても気持ちだけ満足することが可能になっているという指摘です。スキルを磨くためにはちゃんと相手と向き合って対話することが必要で、メールより電話、電話より会って話すことが大事だと書かれています。ネットへの書き込みは駄目というのではなく、気持ちの発散だという自覚が大切だとも。

「社会」へ向かうスキルとしては、「話す」「聴く」「交渉する」の3つの観点から、こと細かなレッスン方法の説明が書いてある本でした。一読するというより手元において何度も読み返す必要がある本です。演出家の方らしく、身体の使い方や声についてのコメントがあり面白いと感じました。