くじけることと抑うつの関係

よく「くじけないで」というフレーズを聞きますが、

まさにその「くじける」状態で何年も生きてきたと思います。

くじけないためのガッツがなくなっていました。

ちなみに、ガッツの語源は内臓です。

はらわたに力が入らないと、人はくじけるのかもしれません。

 

つらいことに出会ったり、他者との気持ちのすれ違いで傷ついたり、思い通りの結果がでなくて悔しかったり、いろいろな不快な体験のたびに自分が「くじけそう」になるのに気がつくようになりました。

そのまま気分が悪くなって、横になりたくなります。何年もそういう状態で過ごしてきたことに気が付きます。私の病気は、「くじける」病気だったのだとわかります。当時は、何が不快なのか、自分の感情はどんな状態なのか、自分でモニターできていませんでした。今はある程度わかるし、それを言葉にすることもできます。

つらいことがあったときに自分をコントロールするスキルが不足していると、抑うつになるということなのだろうと思います。

つらいことはつらいこととして受け止めて噛みしめ、気持ちを切り替えて進むことが大事で、武道の受け身術のようなコツがあるように思います。そこを間違えて、つらい気持ちから逃げたり否認したりごまかしごまかし生きていると、処理できなかった傷が体に蓄積していき、自分の気持ちも他人の気持ちも響いてこない不自由な人間になっていき、嫌なことを嫌と感じる間もなく気分がふさいで何も手につかず、生きていくのがおっくうになっていくのだと、理屈ではなく実感として今わかってきています。

つらいことを噛みしめたり、嫌なことを跳ね返そうとしたりできるようになるのにいくつかの段階があったように思います。恐怖心や悲しみや怒りなど、感じることから逃げて閉じ込めていた感情を取り出して味わう、味わい尽くすプロセスが必須だと思います。そのためにはちょっとした勇気が要りますから安心できる環境が必要で、私の場合は、ヨガ、カウンセリング、例の「心の傷を消す音楽CD」などが役に立ったと思います。それからたぶん、夫が近くにいてくれたことも。

今の私は、「くじける」のか「くじけない」のか、どっちに転ぶか危うい状態をよく経験しています。ピアノを弾くなどの気分転換がうまくいくこともあるけれど、思い切って昼寝してしまうこともあります。思い出すようにしているのは、「つらさ」や「傷つき」から逃げないこと。そのつどその苦さを味わうこと。味わうことを恐れないこと。まだ不完全だけれど、頑張ってみています。

どんなときも絶対くじけないメンタルなんて、なかなか誰でも到達できるものじゃないのかもしれないし、ずっとこんなものなのかもしれません。でも、くじけないということがどんなことなのか実感できている私は、かなり進歩したと思うのです。