時代のトーンが変わるとき

バブル崩壊といわれる経済の急激な変化があったのは平成のはじめ頃ですが、それが起こる前の人々は、当然のことながら、自分たちの未来にどんなことが起こるかはっきりわかっていたわけではありませんでした。

ジャパンアズナンバーワンというフレーズが好まれ、戦後頑張ってアメリカに追いついた日本、経済において成功した日本というプラスの評価が大半だったように思います。あの頃私は20代で、小さな土地が地上げ屋といわれる業者によって買い占められ街の景色がどんどん変わっていくのを目の前で見ていました。私の中には実体のない経済がいつかポンとつぶれるのではという不安がなんとなくあったように思います。でも、本当にバブルがはじけてしまうまで、そのことを指摘する人はあまりいませんでした。

バブルは崩壊し、その後、それ以前のような経済成長は起こりませんでした。

今私たちが直面している感染症の問題というのは、それに少し似ているような気がしています。経済じゃなくて、命のバブル。

人生100年の時代に入った、というフレーズが横行していました。この前まで。

でもそれって、ものすごく傲慢なことだったのかもしれないと思い始めています。

世の中ぜんたいのムードとして、年を取っていろいろ持病を抱えていても、なんとなく生き続けることができるような、ほんわかとした雰囲気がありました。でも、こうやって新しい感染症が入ってきただけで、若い人との体力の差がはっきり出てしまう。なんだかきゅっと自分の寿命が縮んでしまったような気がするのですが、これが本来の人間の命の在り方であって、これまでが間延びしてたというか、実体のないバブリーなものだったような気もするのです。

たしかマハトマ・ガンジーの言葉だったと思いますが、「明日死ぬかのように生きよ」というフレーズをリフレインしながら数日過ごしました。

 これから、一人一人の人生の質は変わるかもしれません。時代のトーンが変わるその瞬間に今立っているように思います。