発達障害と愛着障害とメンタルの病の繋がり具合

数年前、私は、発達障害と愛着障害が別個に語られることに居心地の悪さを感じていました。当時、発達障害は生まれたときに決まっている性質のようなもので、愛着障害が育ち方で決まってくる性格のようなものと説明されていたと思います。どうも納得がいかなかったし、自分はどっちなんだろうというようなことを考えていた時期もあります。また、気分障害という自分の病気との関連もわかりにくいと感じていました。

でも、だんだん専門家の方の見方が変わってきたように思います。『こころの科学』216号(日本評論社、2021年3月号)を読んで実感しました。

 

こころの科学 216 特別企画:大人の愛着障害

こころの科学 216 特別企画:大人の愛着障害

 

 

特別企画として大人の愛着障害と謳ってありますが、愛着障害というのはもともと子どもの疾患の名前なので、ちょっとひとひねりしたネーミングのようです。私が最近いろいろ書いている、外傷的な育ちを背負っている大人のことをだいたい指して大人の愛着障害と言っていると了解しました。精神医学の世界にはどうも流行りのようなものがあって、二十年前が発達障害、その次がうつ病で、最近はトラウマの話をよく見聞きします。人が変化しているのではなくて、見方の方が変化しているんですよね。対象はだいたい同じような悩みを抱えた人たちです。

発達障害がベースにあって、愛着の難しさがあって愛着障害が起き、大人になって精神疾患の症状になって現れてくる、というような3層構造について述べた論考が一つ。また、子どもの側に十分なアタッチメントの力があっても、養育者との関係がなんらかの要因で阻害されれば愛着障害が起きるという説明は他の研究者の方から。愛着ということばで言わんとしていることは、人との繋がりの感覚。養育者との適切な関係を作れないことが、大人になっても対人関係の難しさとして響いてくる。それが大人の愛着障害というざくっとした理解になると思います。

こうやって書いてくると、対人の難しさや生きづらさを抱えた当人としたら、親を恨みたくなるけれど、そこのところに触れた文章もありました。そもそも完璧な子育てなどない、親と子どもの間にはすれ違いが大なり小なり起こる。小さな傷つきはむしろ成長や発達を促進すると。子を持つ親の立場としてもそれは納得できることです。ただし、傷つきに対する親のフォローの力に個人差があることは否めないかなとも思いますが。

最近は自分の親をかなり客観的に眺めるようにもなってきました。この親のもとに生まれてきたのが運命なんかなとか、苦労を背負っていくのが人生なんかなとか、そういうことを考えつつ、自分の抱えるしんどさがすっきり説明されるようになってきたことに対しては素直に嬉しいと感じました。前へ進んでいる感覚は悪くないし、未来は明るいと思えています。