感情を受け止める母親のリアリティ

柳美里『ファミリー・シークレット』を読みました。

カウンセラーとの対話を記録し、作者自身の家族と育ちを振り返るとともに現在の自らの子育てまでを描いています。

存在は知っていながら近寄ることができなかった作品ですが、今回手に取ることができたのは自分が少し強くなってきたからだと思います。

若い時に、よく書かれたな、と感心しました。私も修士論文の中で自分の経験に基づいたテーマを選んだので、自分の傷と向き合いながら創作をしていく凄まじさは少しだけわかります。

この本に書かれていることは、私のブログで再三扱ってきた外傷的育ちです。ひとりの人生だけを取り出せば、その人が外傷的に育ったということで終わってしまいますが、この本にはその周辺にある、母親や父親の人生のリアリティに迫り、子どもを持つ親としての苦悩を描き、3世代にわたって連鎖していく家族のありようを見せることでその全容に迫っています。

私が一番印象に残ったのは、カウンセラーが理想の母親像を語った場面でした。「痛かったね、嫌だったね、苦しかったねといっしょに泣いてくれて、抱きしめてくれる」ような母親像が提示されたとき、作者(柳美里)が、「でも、なかなか、こうあるべきだ、というものにはなれないですよね」と答えているのですが、そうそう、ここだよなあ、って奇妙な納得の仕方をしてしまいました。私も長い間心理の勉強を続けてきて、子どもの感情を受け止めるメンタライジングについては知っていますが、これがどうも歯の浮くような感じというか、映画なんか見ていても嘘くさいというか、こんな人いないでしょというような現実ばなれした感じでしか受け止められない自分がいます。頭でわかっていても頑固に抜け出せないんですよね。どの程度の割合の家庭が「まとも」なのか想像がつきません。私たちはどのくらい「特殊」なのでしょうか。

私にとっては、自分のことで精いっぱいで子どもの気持ちを抱え込むことなど到底おぼつかない母親の方がリアリティがあります。うちは決して典型的な虐待のケースではないと思いますが、受け止めてもらえなかったり、悪意に解釈されてしまったりといったことが、残念ながら今でもあります。こういうのは目に見える虐待のある家庭よりずっと多いんじゃないかと思ってしまうのですが、どうなんでしょうか。

もうひとつ、気づいたこと。虐待のある家庭でも、親は子を愛していないわけではないということ。本の中にちらちらと出てくる親子のやさしい思い出と自分の家族がこれも重なりました。

深いところに届く、ずっしりとした読後感でした。

ファミリー・シークレット

ファミリー・シークレット

  • 作者:柳 美里
  • 発売日: 2010/05/07
  • メディア: 単行本