これまで私が 自分の期待どおりでないこと とか 嫌な体験 不快な出来事 などと書き表してきたことに名前が付けられているのに出会いました。
予測誤差 といいます。熊谷晋一郎さんが、トラウマというのは閾値を超えた強い予測誤差のことではないかという表現をされていました。
生きていれば必ず予測とは違うことに出会う。人は予測誤差に直面すると、予測をより精緻なものに更新し、予測が洗練されることで、多くの人は予測誤差に慣れていく と。
ということはつまり、母が期待通りの応答をしてくれなかったから子は傷つくのだけれど、子の方が、母に期待しすぎないように母親像を修正していけば、もう大きくは傷つかなくなる、ということになります。この修正がうまくいかず、いつまでもいつまでも同じ期待を持ち続けては裏切られるというパターンを繰り返していたところが、まさにトラウマ的な体験だったということなのだろう、と、理解が進んできました。
並行してこの本を読みました。コミュニケーションの方法について、ものすごく勉強になりました。
自他の感情に焦点を当てながら会話をすすめる方法について書かれた本です。自分の感情を把握するというごくごく基本的なことからステップを踏んで学べるようになっており、共感的に聞くことと同時に、自分の怒りを十分に表現して伝えることを学び、対話的な会話のコツを学べるようになっています。
こんな中、実家に行く機会がありました。父は数年前に亡くなりましたが母が生きています。
母や自分のきょうだいと話していて気が付きました。私は母に対して、共感的に話を聞いてもらうことを期待しすぎていました。もっと言えば、何も言わないでも自分の気持ちをわかっていてもらえることを期待しすぎていました。
実際の母は私の話を聞いても自分のことばかり考えている様子でした。娘に対して嫉妬のような感情を持つこともあるようでした。大人としてはそれは当たり前に理解できることではありますが、子どもだった私がトラウマティックな反応を起こし、いつまでもいつまでも「何でもわかってくれるお母さん」というファンタジーの中にとどまって抜けられなくなっていたということが、やっと構造的に理解できました。
ひとつめに紹介した本に、「過去を棚卸しすること」と「応答する責任」の関係が論じられていました。母との関係が整理できると、現在の周囲の人たちとの関係も整理できます。自分と周囲の人たちの気持ちを分け、自分の気持ちと相手の気持ちに別々に焦点を当てることが少しできるようになってきました。
母にやさしくなれるような気がします。
そして自分自身にも。