階層に注目したら整理がついた

実母と義母は違うところが多く、いろんな意味で戸惑い、混乱を経験してきました。私が結婚するまでこれが普通、これが正しい、と思っていたことが、義母にとってはとんでもなくおかしいことだと感じられるらしく、私は義母の言うことに合わせようとすればするほど体調が狂い、こころを病むきっかけになっていったように思います。

例えば子育て。生後間もない息子が寝床でぐずぐず泣き始めたとき、実母はすかさず「放っておいたら泣き止むから」と。義母は「そんなばかな」とすぐ抱き上げ、あやしにかかる、という具合です。生後3か月になると抱いている感覚で赤ん坊が排泄したがっているかどうかがわかると言い、おむつをはずしておまるにささげる、いわゆる「おむつなし育児」をさせようとしました。

近所づきあいが苦手でできるだけ人に逢わない時間にごみを出す実母と、社交も主婦のつとめと真面目に取り組む義母。家事は効率よくと考える実母と、手をかけ心を込めることが肝心と説く義母。こう書いてしまうと、まあ、どこの家でもあるよね、というような話になってしまうのかもしれませんが、義母の教えに従って動くと、私にとってはもうへとへとになってしまうような生活でした。

子どもをベビーカーに乗せてスーパーを数件まわってできるだけ安い食材を求め、昼食は義父母との世間話につき合い、義父の好みと子どもの好みの両方に合わせた夕食を作り、片付けたあと、子どもを風呂に入れ寝かしつけ、そのあとぐらいの時間に夫が帰るというタイミング。それを駅まで自動車で迎えに行って、夫が入浴している間におかずを温める、ならまだしも、義母は焼き魚などを先に作っておくことは認めてくれませんでした。それを片付けたあと、子どもの夜泣きにつき合います。

私自身は全然違うやり方で育っているわけです。身体の具合が悪いと訴えても放っておかれひとりで耐えたこともあります。何かを怖がって泣いたらたいてい大笑いされていました。おむつをして三輪車に乗っている写真も残っているし、おおらかにワイルドに、それが良しという価値観。繊細さや清潔さはどちらかというと軽蔑の対象でした。

当時は本当に混乱しました。葛藤したというべきかもしれません。自分と違う部分を持った夫に惹かれて結婚したのだし、その夫が育ったやり方にあこがれもありました。でも夫の家が正しいのだと考えると、自分の育ち方や自分自身が持っていた価値観が間違っていたということになってしまうように感じていたと思います。

どうしてこんなに違うのだろうということも考えました。

ひとつ前の記事に書いたように、義母と実母は年齢がひとまわりほど違います。まずはそこに注目しました。それから土地柄。でも、それだけでは説明がつかない、もともとの価値観の違いのようなものに引っかかってきたように思います。

それをある程度説明してくれたのが、この本でした。

広田照幸『日本人のしつけは衰退したか「教育する家族」のゆくえ』(講談社現代新書1999年)社会学者の書いた本で、新書ですが学術的な本でも引用されているのを見かけます。

この本では<階層>に注目して話がすすめられていました。大正期から1950年ごろまでに現れた「新中間層」という階層が高度成長期に富裕化してきたあらゆる階層のモデルになっていくという流れです。新中間層とは、都市に住む富裕で教養のある新興勢力、夫は勤め人、妻は主婦という性役割分業があって、子どもは母親が中心になって手をかけて育てるという人々のこととされています。

昭和初期ぐらいでは、この「新中間層」以外に都会に住む貧しい人々や農漁村の人々がいたわけですが、これらの階層では子どもにに立ち居振る舞いなどのしつけはほとんど行われていず、共同体の中で先輩から教えてもらいながら社会のルールを学んでいったということが書かれていました。

同じ日本の中でも階層によってしつけや子育てについての考え方はかなり違っていたし、倫理観もかなり違っていたということが、納得できたところで、心の整理もついたように思います。義母は「新中間層」の真っただ中にあり、実母はそれが広がっていこうとする時期の田舎の子育てを経験したのだということが今はわかります。