傷つくことと向き合うことが生きることの本質

複雑性PTSDという疾病名が、国際疾病分類(ICD-11)に記載され、2022年1月1日から正式に診断名として発効された、らしいです。この本を読みました。

『複雑性PTSDとは何か 四人の精神科医の座談会とエッセイ』(金剛出版2022年、飛鳥井望・神田橋條治・高木俊介・原田誠一)

私のような医学の素人に難しいのが診断名というもので、発達障害がブームになったときはかなり振り回された記憶がありますが、そのおかげでずいぶん鍛えられました。新しい診断名ができたからといって、何か新しい病気が急に流行りだしたわけではないです。心の病といわれるものは、さまざまな状態像からその中身をああでもないこうでもないと探りながら、こう考えたら治療しやすいと考えられる理屈を当てはめて名前を付けているのだと捉えるのが妥当なのだろうと思います。

災害や爆撃などで大きな心の傷を負ったことで起こるフラッシュバックなどを伴う心の病ををPTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ぶことは、かなり多くの人が知っていると思います。これを”単純な”PTSDとすれば、こちらの”複雑な”PTSDとは、長期間にわたって外傷的な人間関係、つまり、命令的・支配的な関係、監視・束縛・攻撃される関係にさらされ、人を信じられない状態になること、寄り添ったり、ねぎらったりする関係を築くことができない状態を、だいたい指しているようです。これまでの診断名ではパーソナリティ障害とか、気分障害とか、発達障害の二次障害とか、さまざまな名前で呼ばれてきたものの中に、複雑性PTSDは含まれているし、これまで行われてきた、過去の人間関係に由来する自分の反応パターンを見つめるという治療法に、複雑性PTSDの治療が重なっていると言えるようです。

新しい名称でくくったことで、人の心の仕組みを整理して理解するのに役立ちます。複雑性PTSDは誰の心の中にもあるけれど、それが専門家の支援を必要とするほど辛くなったときに診断名として捉えられるのだと理解することができるからです。

生きていれば他者に出会うし、他者の思いが自分と一致することはないのだから大なり小なり傷つきは生じるのだと私も思います。そして、支配的な人間関係や暴力的な関りに出会ってしまうことは避けられない現実です。人は自然な営みの中で傷つきから回復する仕組みを持っているのだということが対談の中で議論されていました。精神医療を受けてPTSDを乗り越えた人というのは、一皮むけたというか、後光が差したような状態になるという表現もあって、それって、仏教の修行を積むというような形で大昔からやってきたことに近いのかもしれないと思います。

PTSDの治療につかわれるのは、安心・安全な状態を作った上でトラウマ記憶に向き合い、その時の感情や感覚を思い起こし深く感じることでトラウマを”処理”する方法です。これと同じことが自然に起こっているとこの本は言っていましたが、私がこのブログで書いてきたことがまさにそれに当たることだと気づきます。この本を読んで複雑性のトラウマという考え方に触れたことで、自分や自分の生まれ育った家族のことをこれまでよりずっと整理された形で理解することができたように思います。

もうひとつ、この本で印象に残ったのは、複雑性PTSDが”病気”として現れてくる背景として、差別、軍隊、戦争を挙げられていたことです。支配したり束縛したりする関係性というのは連鎖していきます。支配された人が支配する人になり、束縛された人が束縛する人になっていくのは個人レベルではなく、国家などの大きな組織でも繰り広げられ、それが個人にも影響していくというダイナミクス。私も漠然と感じていたことを専門家の方が語っておられて嬉しく思いました。