静脈としての知

私が生まれ育ったのは、県庁のある地方のまちで、ちいさいときから、まちで一番大きな本屋さんによく出入りしていました。その時点までの私の知っている一番大きな本屋さんは、そこでした。

東京へ出て、カルチャーショックを受けることになります。街のちょっとした商店街にはどこでもそのくらいの規模の本屋さんがあり、大きな駅の周りには、ビルの1階から7階までが本で埋まっているような大型書店がいくつもあったからです。

私はそこで、はじめて、専門書というものに出合いました。

学生時代はほぼ毎日、大学生協の書籍部で。就職してから週末ごとに通ったのは池袋のビブロ。とにかく、タイトルと本の体裁から、目に止まったものを片っ端から手にとって見るというやり方で、法律、歴史、理工、美術、なんでも目を通しました。

こんな本がある、こんなことに興味を持ち本にする人がいる、そのなかに、広い世界を感じていた、と、思います。そして、たくさんの専門書がある場所が、私にとっての東京でした。

 
本といえば、立花隆さんです。

とびすぎですか(笑)。


立花隆の書棚立花隆の書棚』(中央公論新社)という本を読みました。立花隆さんは、幅広いさまざまなテーマにつて、文献を集め取材を重ねて文章にまとめあげてしまう達人です。

この本によると立花隆さんは蔵書のためのビルをひとつお持ちで、集めた本に書かれている内容を全てちゃんと理解しておられるようでした。

読みながら気づいたのは、そうやって集めてきた、関連のなさそうなバラバラの知識が、立花さんの頭の中で、ひとつのワールドとして連関をもって繋がっているということでした。

細分化されたものが、再びまとまりをもって、大きな束になってくる。これをひとりの人間がしているというのは、すごいことです。

 

政治学者の丸山眞男を引用して知のタコ壷化という批判をするのによく出会います。

丸山眞男はタコ壷型に対比してササラ型というモデルについて語っているようですが、ササラというのは、太い脈からだんだん細くなっていく、血管で言えば動脈の部分なんですよね。その逆の、細い流れをまたまとめ上げていく静脈の部分があると考えると、

なんとなく、立花隆さんと重なるんです。


まとめあげる人がいないと、末端に溜まった知(=血)は中心に戻ることができず、同じ場所でどうどうめぐりをしてしまう。タコ壷と批判するのはたやすいけれど、重力に逆らってそれを中心に戻していくのには小さなたくさんの力が必要です。
 


このブログの私の仕事はささやかなものですが、もっと日常の底辺から、細い血管をたばねて伝えていく作業を、私なりに、手伝っていけたらいいなと思っています。
  
本にこだわりを持つひとりとして。