メンタライゼーションは空想と現実の間にある

他者の気持ちについて考えることをメンタライゼーションと呼ぶとして、話をすすめています。これは、いわゆる「思いやり」や「共感性」に関わることではありますが、メンタライゼーションというのは、悲しそうな人を見てなんとなく自分も悲しくなってしまうという現象とか、他人のエピソードを聞いて自分の過去の似たような体験を思い出してそのときの気持ちを重ね合わせてしまうとか、そういうもののことではないようです。

メンタライゼーションは、他人の状況を見て自分の頭の中で他人の心理状態を考えてその感情を理解しようとすること。感情は身体的なものだと考えると、その人の身体になることはできないので、あくまでも、これは自分の空想の中で起こっていることです。でも、現実に目の前で起こっていることに対してその空想を行い、それにもとづいて自分は現実に相手と交流していくわけで、その意味で、メンタライゼーションは現実と空想の間にある、あいまいな領域で起こっていることだと捉えることができます。

これって、改めてそう考えてみると、不思議なことです。他人は他人であって、自分ではないのだけれど、他人の考えや気持ちを、想像の中で組み立てることで、私たちはお互い交流し合っているわけですよね。

あくまでも空想なので、しばしば間違うことがあって、それでいろいろトラブルも起こるわけです。また、最初に書いたような、相手の現実の状態をきちんと考えていない自分だけの感情の動きが混同されることも多いはずです。私はちゃんと区別できていたかというと全く自信がなかったです。

メンタライゼーションは臨床心理学の言葉ですが、それを心理学一般の言葉で考えると視点取得とか役割取得とかそういう名前で呼ばれているものと重ね合わせることができます。まったくイコールじゃないんだろうけど、まあ同じものを別の角度から見たものとしてここでは扱います。今回参考にしたのはこの本。

『もっと/思いやりを科学する―向社会的行動の半世紀』(菊池章夫、川島書店2018年)

生まれたときから大人と同じように相手の気持ちについて考えることができるかというとそんなはずはないわけで、発達の順序からすると、次のような感じに考えられているようです。

①反射的共感 なんとなく一緒に悲しくなってしまうといった現象 2歳ごろまでに

②顔の表情を見てラベリング(悲しそう、嬉しそうの判断)できる 4~5歳までに成立 しかしこの時点では同一視や投射にもとづく共感 自分と相手を混同した気持ちの理解 

③自他の立場を相対的に見る 11歳~12歳ごろ

役割取得といわれるもの、すなわち自分とは違う相手の立場に立って相手の状況を想像し、そこから相手の考え方や感じ方を読み取ることは、小学生の頃に一番発達するもののようです。(前回紹介した「メンタライゼーションを学ぼう」では、5-6歳ごろにメンタライゼーションは確立すると書いてあるので時期としては開きがあるのですが、この頃から空想と現実の間の扱い方が大人と同じようになってきて、11歳~12歳までは過渡期ということなんだろうと思います)

この頃に、

悪いことをしたら「ダメ」「やめなさい」と叱る子育てを受けたか、「された人の気持ちを考えてごらん」「あの人はどう思ったかな?」などと考えさせる子育てを受けたかでその人の視点取得の力は変わるし、また、視点取得の力を伸ばす教育方法もあるらしいんですよね。

つまり、「育ち方」で、「どれだけ他人の気持ちを考えることができるか」が変わるんです。

空想と現実の間の領域を子どものときに広げておくことや、その領域を自由に使いこなす訓練が他者との交流の力を伸ばすことにつながるのなら、もっとそれは大事に考えていくべきじゃないのかなと思いました。