自分の中に鍵のある部屋を持つ

このところ更新がとてもゆっくりになっていますが、毎日どなたかがアクセスされているようで、そこへ向かって、あるいは未来の読者さんに宛てて、記事を書いていこうと思います。

今日は、この本についてです。

東畑開人『聞く技術聞いてもらう技術』(ちくまプリマ―新書,2022年)

本屋さんにいくと平積みしてあったり、書評もいろいろ出ていてそこそこ読まれている本だと思います。この本全体についての情報は他の方に任せるとして、

私自身が印象に残ったことを書きたいと思います。

「孤独」と「孤立」についての下りで出てきた「鍵のかかる心の部屋」のことです。

この本では、「孤独」と「孤立」を分けています。

「孤立」しているとき、その人の心には、「皆に馬鹿にされている」「自分はダメ人間」など、自分を責める声が吹き荒れていて、心は平穏ではありません。

それに対して、「孤独」とは、心の中でひとりポツンといるけれど、寂しくない状態。自分としっかり向き合える時間が持てること。心の中に鍵のかかる個室を持っていること。

「孤独」を手に入れて初めて、人は、他者の話に耳を傾けることができる。

耳を傾ける、って、つまり、その人にやさしくなれるということですよね。他者の痛みに気づけるためには、自分の痛みに向きあえている自分が必要で、そのためには、自分だけの守られた部屋が要る。

本の内容は、「孤立」している人をどうやってケアするかという技術について展開していきますが、私は、自分自身の心の部屋について考えないわけにはいきませんでした。

慣れない土地で義父母と同居して始めた結婚生活、毎日残業で帰ってこない夫、難しかった子育て、不登校から睡眠障害になった子ども、認知症がすすんできた義母、ずっとずっと私は寂しかったし、辛かった、苦しかった。それをやっと今、言葉に出して言うことができる。

一昨年夫がガンの手術をして、同時期に、義母が病院と施設を行ったり来たりするようになり、結果的に、夫婦の時間がたっぷりできたのですが、そこでやっと、私は私のための小さな心の部屋を持つことができるようになったように感じています。

そうだ、私は寂しかった。

孤立していた私に聴こえていたのは小さいころに聞いた私を傷つける言葉であり、私は気持ちに蓋をしてアレキシサイミアになることで辛さをしのいできたと考えれば、それも必然と思えてきます。しかし、私が感情をありのまま感じられておらず、他者の気持ちにもひどく鈍感であったがために、周囲の人々を傷つけてきたことは、もう取り返しがつかないことでもあります。

でも、それらを含めて、人が生きるということなのかな、と思います。

最近、どんな人も、ややこしい事情の中を頑張って生きている人生の仲間なんだと思えるようになってきました。難しいな、つき合いづらいなと感じる人もいるけれど、それもその人の抱える背景ゆえであって、誰一人同じ人生を歩んでいる人はいない。でも、自分の課題に向き合っているという点では共通しています。

そうすると、人と交流することが少し楽になってきたし、楽しさも感じるようになってきました。疲れてめまいで何日も寝込んだりしていますが、それでも以前とはまったく違うステージに立ててるように感じています。私には、鍵のかかる心の部屋ができつつあるようです。