外傷的な育ちというくくりで見える本質

なんだかすごい本に出会ってしまった気がしています。

メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』(崔炯仁、星和書店2016)。
以前からこのブログでは連呼していますが、精神科の診断名は原因で分類されているわけではなくて、状態像の名前です。この本では、診断名としての「境界性パーソナリティ障害」「複雑性PTSD」、自己理解のためのキーワードとして普及している「アダルトチルドレン」の3つの重なりに、「外傷的育ち」が位置づけられています。

つまり、これらは状態像としては違っていても、その原因となるこころの動きに共通点があり、同じ対応や支援によって回復していく可能性があるということなのです。

共通とされる、うまく機能できない心の働きを作ってしまう原因は養育者の不適切な対応にあるのですが、養育者もまた外傷的育ちにより機能できない心を持っていて、と、世代間連鎖をしています。ここでいう不適切な対応というのは、虐待のような極端なものだけではありません。ミラーリングという用語で説明されているのですが、子どもの感情を上手に汲み取って適切に返してあげること、こどもを「あやす」ことと言い換えてもいいかもしれません。多少ユーモアを交えながらなだめたり落ち着かせたり、この技術の上手い・下手は確かに個人差があります。うまくミラーリングしてもらうことで、子どもは自分の感情を見渡し適切に捉える力を育んでいけるのですが、養育者によっては子どもが泣いたときにイライラした感情を子どもにぶつけてしまったり、無視してしまったりしてその機会を逃してしまいます。

デリケートな話です。

「外傷的」と言うからには、強いショックにより傷つくことを指すような印象があるのですが、そうでもないのです。辛くて泣いたりしたときにうまくミラーリングしてもらえなかった子どもの心には、自分のものではない感情が自己の中に紛れ込んでしまい、「ヨソモノ自己」というものを形成し、ピンチのときに「私が悪い」「生きる価値がない」「生まれてこないほうが皆幸せだった」などと自分に対する内なる攻撃が生じると説明されています。内側から自分を攻撃して自分で傷つくような人格が育ってしまう、それが「外傷的育ち」ということなんですが、

どうでしょう、思い当たる方、それなりにいらっしゃるのではないでしょうか。


私はほんの一ヶ月ほど前にこのブログに、自分の親に虐待された覚えはないけれどなんだか普通の家じゃなかったと書いたところでした。
普通の家がどんなのか、それがわかりにくいんですよね。そのことをこの本にも書いてありました。
自分が子どもを持って育児書を開いたとき、自分の親のやり方が「悪い例」の典型だったことに気づき、心が強く痛んで、ああ、この本の「良い例」のように対応してもらえたらどんなに良かっただろうかと思った覚えはあります。
私は私なりに自分の子育ては精一杯やってきたと思うけれど、育児書にあるような上手な対応はなかなかできず辛い思いはしました。
たぶん、私も「外傷的育ち」に当てはまる部分を相当持っているといえるでしょう。
そしておそらく、私の母も、そして父も。
普通がどんなものかわかって初めて理解できる、自分や自分の家族の歪んだ部分です。

アダルトチルドレン的な育ちを経験した人はかなりの数いるはずです。不適応に至らずがんばっている人たちに診断名はつきません。とくに、優秀な人材として社会に貢献している人たちには何の問題もないと考えられがちです。この本ではそのような社会的成功を収めて責任感の強いタイプも、機能不全家庭での適応タイプのひとつに数えられています。パニック、うつ、ワーカホリックうつとして問題が出てくることがありますが、表面化しないことも多々あるはずです。その他、内気で孤立するタイプの過食嘔吐やアルコール、世話役道化役タイプの多動やうつ、暴走タイプの薬物依存や窃盗癖、虚偽性障害など、タイプ別にまとめた表が載っています(p.85)が、どれも近くを見回せばよくいるタイプの人たちだし、世間的には別の種類の人間としてそれぞれ別の評価を受けている人たちでしょう。
病理と書きましたが、世の中にどこでも存在するものだという意味では、異常ではありません。私たちの育ちに外傷的な部分は簡単に入り込んでくるし、自然な育ちの中に、それをリカバーする機構が備わっていると私は考えます。この本で使われているキーワードは「メンタライジング」です。自分の心を見渡し、今自分が何を感じているのかがわかり、相手の気持ちに自己を投影していたり、以前からの人間関係のパターンを当てはめて不安になっていたりしていることを冷静に見つめることができるようになっていくことを指します。この本ではカウンセリング的な関わりの中で感情を明確化していくプロセスがかなり詳しく解説されていました。MBT:mentalization-based treatment と名づけられ、心理だけでなく、社会福祉や看護などの専門家が技法として学ぶことで支援に役立つということです。

境界性パーソナリティ障害的な行動パターンを取る、人の信頼度を試すような挑発的な行動を取る人たちの対応として、この技法は有効であることが知られていると書かれていました。しかし表面的にはそういう行動がめだたないように見える人たちの中に同じような心理が潜んでいることを考えに入れることで、理解はぐっと本質的なものに近づいていっている気がします。精神障害を持つ人の家族や、支援者自身の中にある、「ヨソモノ自己」の働きを知ることで、自分の中の見取り図だけでなく、世の中ぜんたいの見取り図が描けるきっかけをつかめるようにも思います。

ニュースをにぎわす児童虐待や薬物依存の問題、過労死や職場うつなどはばらばらに見えて実は根っことしてこの外傷的育ちのからくりを含んでいると考えられます。これらの社会問題を解決するためには個別にゆっくり話を聞いているだけでは追いつかないでしょう。何かよい手はないのでしょうか。