思春期の外傷体験から起こる慢性うつ

以前、外傷的な育ちとメンタライゼーションについて書きました(→過去記事)。今回はその第2弾ということになります。この本を読みました。

『メンタライゼーションを学ぼう』(池田暁史、日本評論社2021年)

本の帯に、「愛着関係のつまづきのために生きづらさを抱える人たちへの治療法としてのMBT(メンタライゼーションに基づく治療)」とあります。診断名としては、境界性パーソナリティ障害、解離性同一性障害、複雑性PTSDが挙げられているのですが、これらが以前扱った「外傷的な育ち」とだいたい重なっていると考えて間違いないと思います。

「外傷的育ち」とは、幼少期に不適切なミラーリングをされた、すなわちうまくあやしてもらえなかったために、養育者との健全な愛着関係が結べなかった、というようなことを前回書いたのですが、この本では、そういう場合についても言及したうえで、それ以外の「外傷的育ち」について述べてありました。

小学校高学年~中学校~高校時代の外傷体験です。

例として挙げられているのが、「近親者やそれ以外の対象からの性的外傷」「学校等での長期間のいじめ」「親の意向にみずからを適合させるため、スポーツや芸術といった好きな活動を諦めたり、望まぬ進学先を選択することしかできずに育ったかつての「よい子」」です。

最後に挙げられた「よい子」が、大人になって慢性的な抑うつを抱え、「おまえはこんなこともできないのか」というような内なる声(よそ者的自己)に悩まされてる場合、ここで出てくる診断名は、うつ病、摂食障害、アルコール依存のような嗜癖関連など多岐にわたるといいます。また、不全型BPDと呼ばれる、ほとんど他者を攻撃しないタイプの境界性パーソナリティ障害として現れるときもある、と。

大人になってからの慢性的なうつと、思春期の養育者との関係との関連。また、学校でのつらい体験の影響。外国の研究にはほとんど出てこなかったようで、ここはこの本の著者が日々の治療の現場の実感としてニーズが多いと書いていました。日本の社会の特殊な状況の問題なのか、外国では別な見え方をしているのかわからないけれど、日本に住んでいる私たちにしてみれば、大きくうなずける部分です。

これらの「外傷的育ち」についても、メンタライゼーションを学ぶことは治療的に働くといいます。

メンタライゼーションとは、①自分や他者のこころの状態に思いを馳せること および②自分や他者のとる言動をその人のこころの状態と関連づけて考えること で、基本的には誰でも持っている能力です。しかし、この能力はちょっとしたことでうまく働かなくなると書いてあるのですが、どうでしょうか。

たとえば、酒に酔ってボーっとしているとき、イライラしているとき、他人の気持ちについてちゃんと考えることができるだろうか、というようなことです。覚醒度が低くても高すぎてもメンタライゼーションはうまくいかないのですが、この幅には個人差があります。また、相手の気持ちを勝手に想像してこれこれに違いないと決め打ちしてしまったり、忖度の押し売りみたいになったり、他人の気持ちを考えているようでちゃんとできていない、失敗型というのがある、といいます。

人の気持ちを推し量ることが健全にできるようになれば、抑うつが改善する、と、そういうことなのだと理解しました。

MBTという治療法は精神分析家が患者と対話しながら行うもののようで、この本に実例と共に紹介されてはいますが、専門家でない私にはうまく理解できるものではありませんでした。しかし、人の気持ちを推し量るやりかたのうちどういうものが健全で、どういうものが間違っているのかという実例についてはよくわかりましたし、自分の育った家族の中に不健全なメンタライゼーションが紛れ込んでいて、それが外傷の連鎖を起こしていたことにも気づきます。当事者として得たものは、自分の気持ちをちゃんと把握して他人の気持ちにも興味を持ち続けることで、自分の人生が開かれるという希望です。

まさしく慢性のうつ状態を長く過ごしてきましたが、過去から自分を切り離して自由に生きたらいいんじゃない? ってある日思いついてから気が楽になっている今日この頃です。