感情を味わうことで味覚も変わっていく

自分の気持ちを”感じる”と書いたり、”拾う”と書いたりしていますが、ときに”味わう”という表現を使ったこともあるかと思います。とくに、苦しさや恐怖感、辛さ、悲しさといったネガティブで避けて通りたくなるような感情を、逃げないで、受け止めて、しっかりと”味わう”ことで、その感情に触れることへの不安から解放されていく経験を積んできました。

この”味わう”という表現は、まぎれもなく、味覚の”味わう”から来ています。

ここへきて、私の味覚は一部欠けていたのではないかと感じるようになりました。頬の下あたりの旨味や酸味を感じる部分、口蓋の左右の端の方に、舌を使って食べ物をゆっくり運んで意識を持っていくと、非常に新鮮な感覚があります。このあたりは長い間”味を感じていなかった”ような気がするのです。

嫌なものごとを感覚を鈍らせることで受け容れてきた、それがこれまでの私の生き方だったのかなと思います。でも、嫌なものごととしっかり向き合える方が幸せになる生き方だということを今は知っています。

向き合えるようになるためには、安心で安全な環境を守りながら、厳しい現実を共に乗り越えようとしてくれる存在が必要、なんじゃないかと思います。それは親かもしれないけれど近くにいる年長の誰かかもしれない。神仏がその役割を果たすこともあるかもしれない。この人と一緒なら頑張れると思える存在が、必要。

今、安心で安全だし、家族も共にいます。緊張を解いて、味わったらいいんです。おいしい食べ物はおいしく、初めての味わいはそれとして。

逃げずに。味わう。

そう思うだけで、唾液がどんどん湧きあがってきます。思春期あたりの、あまり楽しくなかった夕食のシーンの思い出は少しトラウマになっているように感じるし、その(感情としての)苦さも味わいなおしたうえで、もっと古い、幼いころに味わった優しい、楽しかった食事の思い出に回帰していきます。

肩こりも取れていくような気がします。

ここ数日そんな経験をしています。私は自分の感覚で体験したことにもできるだけ他の人の書いたものを引用しながら紹介してきましたが、この、味覚についての体験はぴったりくるものが見つかっておりません。アレクサンダーテクニークの講師の方に味覚を呼び覚ますことについて聞いたことがあったように思いますが、私の今の体験はボディだけだけでなくて、記憶や心の傷と結びついた何かです。ボディにそれらが記憶されているのだと考えれば同じことなのかもしれません。

眠りも、どんどん深くなっているように感じています。