母といえど人間

前回は、相手の気持ちについて考えることができる力が「しつけ」によって伸びるというような話で終わりました。あれから多少気鬱に過ごしていました。私の母は、きょうだいげんかのときなどにそれぞれの言い分を聞いて仲裁するなどということは一切したことはなく、それぞれの子どもに相手の悪口を言って味方になるという方法でなだめていたように思ったからです。私は母の言葉を信じて、妹のことを自己中心的でワガママな子だと思っていたのですが、どうも妹は妹で私のことを嫉妬深く意地悪な人だと思っていて、それが母の入れ知恵の影響であったふしがあります。

なんだかこれが諸悪の根源のような気がして、ふさぎ込んでいました。

でも、徐々に考えが変わってきました。母は単純に子どもたちを大人しくさせたかっただけなのではないのか。子どもは泣いたりわめいたり子ども同士もめたり大変で、親は必ずしも「子どもの気持ちを考えて」とか「子どもの将来のために」とかそういう大上段なことを考えているわけではなくて、さっさと静かにさせて自分が楽になりたいと思うのもあり、というか、子どものお守りというのはそれが全てでしょう。人が人の世話をするのは思いやりの気持ちがあるからだけではなく、苦しんでいる人を見るのが苦痛だからとかうまくやっていないと恥ずかしいからとか、さまざまな動機があるのだと先の本(前回)にも書いてありました。

で、まあその結果として、私や妹の学んだ役割取得というのはあまり質の良いものではなかったということになるかもしれません。

世の中には、「母性」への幻想があります。母親というのはいつも献身的に子どものことを思い、外の世界を探索する子どもの安全基地となり、癒し育む安心の存在であるということに世間的にはなっているけれど、産んだだけで誰でもそんなものになれるわけがないんですよね。でも、この幻想のおかげで、私は必要以上に自分の母を恥ずかしいとか自分自身を恥ずかしいとか思ってきたかもしれないです。

その当たりが整理できてきたところで、私の中に変化が出てきました。母との間でトラウマになっていた過去の出来事を思い出して、泣けてきたんですね。悲しかった、寂しかった、苦しかった、その時の感情が溢れ出てきて、泣けて泣けてしょうがなくなったのですが。。そのあとに、次の変化が出てきました。

泣いている自分をなだめようとする別の自分に気づいたんですよね。たくさん泣いていいよ、つらかったね、って、自分で自分をなだめることができている自分。これは私にとって画期的なことでした。これなら強くなれる、って思いました。

これまで別々のところにあった二種類の自分が統合されたような感じでした。

気が付くとトラウマは終わっていました。専門家はトラウマを”処理する”と言いますが、心の中でトラウマが消化されたというか化学反応みないなことが起こって別のものに変わっていました。

母と、というか母なるものへの幻想と、訣別できたと思います。ヤマを越えたな、って自分で思えて嬉しいと感じました。もうすぐ還暦というような年齢なのですが、自分の成長を実感できるときってまだあるのだなと感慨深いです。