レジリエンスってそういうことでしょ

このところ発達性トラウマに”はまって”しまって少ししんどい感じになっていたのですが、ここ1か月で 抜けた! という感じになっています。

どういう風に変化があったのかを順序だてて整理したいと思います。書いておかないとこの感覚を忘れてしまいそうなので。

まず、この本を読んだのですね。

この本の前半に、発達性トラウマを引き起こす養育者の態度の事例がかなりたくさん書き込まれているのですが、これを読んだときに、私は当事者だというのが確信に変わりました。母が私に接した態度の中にはマルトリートメントと呼ばれるあまり適切ではない関りが多く含まれていたと認めます。でも、複雑な読後感が残りました。

この本を読む限り、不適切な子育て→発達性トラウマ という因果関係を受け容れなければならないのですが、そうすると、自分の今の生きづらさは母のせいだという論理になってしまいます。なんだか、母の悪口を言われているみたいで気分が悪くなってしまいました。

母は母の事情の中で人生を生きてきたのであり、母の弱いところは自分にも受け継がれているのであり、母の不完全さを指摘されることは自分のダメなところを突かれているのと同じなんですよね。今まで生きてきた自分のありかたまで否定されてしまったような気分になってしまいました。

数日つらかったです。

でも、数日して、気を取り直しました。今、自分が生きづらい、やりにくい、しんどいと感じているのは確かで、自分が変わりたい、生きやすくなりたいと希望しているのも確かなのだから、これまでの自分と訣別して変わろう。と思いました。

母には、この本に書かれているような”良い養育”をする力がなかったのだし、ないものをずっとねだっていても仕方がない、と考えたら、ずっと楽になりました。もう期待しないでおこう。裏切られても期待し続けていた私の方が変わったらいい。母は変わらない。

それから、ものすごく軽いです。

自分の期待通りでないことは世界中に溢れています。それらから今まで逃げ続けてきたのが私です。でも、テニスボールを打ち返すように、打ち返せばいい。思ったのと違う球が飛んで来たら、おっ、そうきたか、と面白がるぐらいのことがあってもいい。そのためには、少し練習しなければならないかもしれないけれど、逃げなければ、少しずつ上達していくんじゃないだろうか。。

レジリエンス、と呼ばれているのは、こういうことなんだと思います。こんなこと、健康に生きている方々にとっては全く持って普通のことなのかもしれません。でも私には何十年もの間難しかったことです。

この本は私にとってきっかけにはなりましたが、この本を読めば誰でもこうなるということではないと思います。さまざまなことが重なって今があります。とにかく、いい感じで毎日が動いています。