卑屈さから抜け出すキーワードとしてのコンフォートゾーン

結構ガツンときました。本をパラっとめくっただけで目に留まったフレーズにここまで衝撃を受けたことはもしかしたら初めてかもしれません。

もし何かに失敗したり、満足のいく結果が出なかったりしたときは、「恥ずかしい」ではなく、「自分らしくない」と考えるようにしましょう

子どもの頃からそそっかしく、ぶつけたり落としたり、もうちょっとで完成というところがうまく乗り切れなかったり、自分はそういう人間だと思い込んでいました。

これは自分の属性であって、一生直らないんだと。

家族には容赦なく指摘されます。おそらく悪気はないのだろうけど、へこみます。お前はいつも失敗する。子どものときはおっちょこちょいが玉に瑕だねぐらいで済みましたが年を重ねるにつれ大事なことは何も任せてもらえないのが辛くなってきました。失敗するのが怖くなって最初から挑戦しないことも多くなりました。

でもこの本にはそれを変える方法が書いてありました。自分はそういう人間だと信じ込んでいるから、そこにとどまっているのだ。その信念を変えればいい。

「 自分らしくない」と考えるということは、本来の自分の立ち位置を変えるということです。

自分はもともと失敗する人間だと考えてしまっていると、失敗しない人間になるというハードルがおそろしく高いものに思えてしまい、何を努力したらいいのか見当をつけることが難しくなるし、その努力が辛いものに感じられます。

でも、自分は本来はできる人間なのに、失敗した、と考えてみます。なぜ失敗したのかを分析して方法を変えたり、練習したりすることが、なんだか、楽にできるような気がするではありませんか。

この本では、「コンフォートゾーン」という言葉を使っていました。自己評価が低いと「ダメな自分」が「自分らしい」「居心地がいい」と感じられるようになり、そこが「コンフォートゾーン」になってしまっているのだと。その状態を保持しようとして無意識のうちに自分の価値を下げるような行動を取るようになるのだと。その通りだったと思います。まず、自分の自己評価を上げてみる。本来できる人間だし、できる状態の方が気持ちがよく満足できる。自分の持てる力を最大限使ってみよう。今できないのならどうやったらできるか考えてみよう。

折しもオリンピックでハイレベルなアスリートの姿を見る機会がありました。見てて気持ちいいのは、彼らが最大限自分の力を出し切る方法を追求し続けているからなんだろうと思います。そういう気持ちよさのところに、自分の「コンフォートゾーン」を引き上げていくことで、努力することが苦にならなくなるはずです。

だいたい、自分は失敗を「恥ずかしい」と感じていることさえ意識することができず、言葉も表情もでない固まった状態を経て抑うつ状態という流れでやり過ごしてきたように思います。失敗したら気分が悪くなるのは家族が容赦なく「またやったな」「お前はいつも」などと口にするからだ、と人のせいにしたりもしてきました。「ちょっと疲れていて」「いつもと違うところに置いてあったから」などと言い訳もしてきました。そこにもともとあったのは「恥ずかしい」という感情であったということに、やっと気づきました。

そこにある感情を否定しないで、あるということを認めたうえで、本来の自分はできるはずという立ち位置から眺める。失敗したことを悔しいと思い、次からどうやったら失敗しないかを考える。そうしたら、自然に「ごめんなさい、次から気をつけます」という言葉が家族に対しても出てきました。

部屋の掃除や整理整頓も楽しくなっています。意識的にコンフォートゾーンを上げてみるだけで、これまで目につかなかった汚れや乱れが気になりちょこちょこと動けるようになりました。努力しているという無理やりな感じがないのが楽です。

この本には「恥ずかしさ」以外にも「恨み」「恐怖」「不安」「嫌悪」「緊張」などのネガティブな感情との付き合い方、「名誉心」「同情」などポジティブな感情の取り扱い方などが丁寧に解説されています。手元に置いて何度でも読み返したい本だと思いました。