思い出が身体に記憶されている

身体が硬直したり筋肉に痛みやだるさがあったり、それをほぐすために自分なりに努力してきました。そのことはこのブログにもときどき書いてきたのですが、いつも不思議に思うことがありました。

ほぐれるとき、旧い記憶が蘇るということです。
情景とともにそのときの感情が思い出されます。夢を見ることもあります。
そしてその思い出が少し姿を変えるというか、思い出もほぐれるというか。。。
日本語らしい表現として言えば、「成仏」するというか。。。

身体が旧い記憶に関連があるという話をすんなり受けいれる人はどのくらいいるでしょうか。
記憶は脳に貯蔵されているという常識に従えば、なんらかの「科学を否定する」考え方に思えるかもしれません。私も、自分に起こるこの現象を不思議に思いながら、人に話すと変に思われるのではないかという恥ずかしい気持ちもあって、ここに書くのもためらっていました。

でも、それなりに科学的と思われる認知心理学の本に、身体が記憶するという話が出ているのを見つけ、ちょっと安心しました。
記憶力の正体: 人はなぜ忘れるのか? (ちくま新書)『記憶力の正体-人はなぜ忘れるのか?』(高橋雅延,2014ちくま新書)この本は、記憶という現象全般についての本ですが、第4章に身体の記憶のことが書かれています。
ここで話題になっているのは主に身体が覚える技能などの方法の記憶についてですが、トラウマの記憶、胸騒ぎのような理由のわからない不安、気づかないレベルの記憶が行動に影響に与える例などが、無意識の記憶の例としてあげられ、アントニオ・ダマシオをひいて身体に基盤を置いたものだろうと推測されていました。

無意識というとスピリチュアルなものだと感じる方もあると思いますが、生まれてから長い年月の記憶のほとんどは、意識されないレベルに沈んでいるのであって、消えているわけではないです。経験したことの記憶を、見たこと、聞いたことに限定して考えてしまいがちですが、そのときには風の温度や湿り気、匂いなどがかもし出す空気の質感や、場の人間関係が醸し出した雰囲気など、さまざまのことがらを感じていたわけで、その記憶は消えていくどころか、新しい場面に遭遇したときに経験則として無意識のうちに利用されていますよね。意識にのぼってくる記憶だけが記憶だと考えるのが科学なら、その科学はあまりにも石頭ということになるでしょう。

この本を読んで多少自信をつけたところで、次に、この本を読みました。
うつと身体 〈からだ〉の声を聴け『うつと身体<からだ>の声を聴け』(アレクサンダー・ローエン、2009春秋社)著者はヴィルヘルム・ライヒの弟子でフロイトの孫弟子にあたる人だそうなので、毛嫌いする人もあるかもしれません。私も、フロイトの考えは偏っていると思うほうです。でも、書いてあることは理解できると思いました。というか、私の経験からはそう、そのとおり、私が経験したとおりだ、と、感じることがあり、引き込まれるように読みすすめていきました。

抑うつ反応というのは、この本の考えによると、存在の基本的現実に触れていないことと同義です。基本的現実というのは、からだであるので、「抑うつを治療するための第一歩は、患者が自分のからだの現実とふれていくのを助けること」(p.197)だと書いてあります。そのとおりです。私は自分の身体とのつながりを取り戻すための数年を経て、それまでの長い抑うつから抜け出してきました。

アレクサンダー・ローエンはバイオエナジェティクスという治療法を始めた人ですが、これは身体に働きかけ感情を解放していくやり方のようでした。エクササイズのやりかたが簡単な図解で紹介されていますが、ひとりでやってみるのは少し難しいです。でもこの本の、抑うつが、外界への反応として身体の一部を緊張させることによって起こっているという説明は納得のいくものでした。

ロルフィングを受けているときも、流れ出してくる思いをロルファーさんに聴いてもらうことが多かったのですが、ロルファーさんの経験からも、昔の記憶が呼び戻されたり夢を見たりしたというクライエントさんがよくいらっしゃるということでした。

身体が覚えている種類の記憶というのは、まぎれもなくあるんじゃないかと思います。